noveで企画

アプリnovelnove交流による企画。

三題お題小説 瀞石桃子さん

振り返る無情な砂漠に春吠える

前編 お題B

 

あなたに捧げたい物語があります。

 はじめてその絵を見たとき、ぼくの頭は直角に曲がった状態だった。
 ぼくだけの視覚を独り占めにした正方形のキャンバスに描かれていたのは、一頭のクジラで、より正しくはマッコウクジラが縦になった構図だった。背景は不気味なほど光を拒絶する黒色で、加えてわずかに海流を表すかのような紺色が混ざっていた。被写体のマッコウクジラは文字通り縦にまっすぐだった。当時ぼくが首を曲げていたのは、ふだん図鑑やテレビでみるクジラが常に横を向いていたためで、そうやって泳いでいるのを見たこともあったからだ。
 けれど自分の周りの人たちは普通に首を曲げないまま見ていたから、とても不思議に感じていた。のちになって、あれはクジラが睡眠時に縦になっている姿だとわかった。絵の作者があえてクジラを縦にして描いたことに関して真意を読み解くことはできないけれど、ぼく自身は非常にそのときの記憶が鮮明に焼き付いており、なんとはなしにそこからクジラという生き物に対して深い親しみを感じていた。
 そしてそのとき一緒に絵を見ていたのがいとこのチハルだった。
 彼女もまた、頭を横に曲げてそのクジラを眺めていた。そんなふうに背丈の低い子どもが二人、大人に混じって頭を横にしている姿はさぞいとけなく、ぼくの実家には二人の後ろ姿を撮った写真が飾られている。写真を見返すたび、あのとき二人で絵を見て何かを会話をした気がするんだけど、今となっては全然思い出せない。彼女自身も、きっと覚えていない。大事な話ではないんだけれど、今となってはとても大事にしたい会話だったのだ。
 それでも、ぼくたちはもう昔のままではないし、これからも絶えず移り変わる関係を否が応でも繋ぎ止めなくちゃならなくて、その運命が残酷なまでにぼくを苛むのだ。ほんとに。
 
 ふりかえる無情の砂漠に春吠える/クジラトリップストーリー
 
 千陽と書いてチハル。彼女はぼくと同い年で、小学校と中学校が同じだった。ほとんど生まれたころから一緒にいて、誕生日やお正月、休みの日などはよく兄と三人で遊んだり、家族にいろいろなところに連れて行ってもらっていた。
 しかし彼女は高校生のときに遭った事故が原因で、もう寝たきりの状態になってしまった。自分の意思ではもう身体を動かすことができないから、何をするにもずっと補助や介護が必要になった。施設では常に車椅子に脱力したような状態で座っていて、人が名前を呼んであげると目が開くが、最近はもう誰かが指でこじ開けるようにして目を開かないとすぐにまぶたが下がってしまうさまだ。当然食事もままならない。口に物を近づけると、口を開くという反射反応は見られるが、例えばよだれを拭こうとしてタオルを近づけても口を開いたりする。自分で身体を動かすことができないから、筋力をちゃんと維持するために指のマッサージや足を伸ばしてあげたりすることも欠かせない。以上のことがチハルを取り囲む日常だった。
 どれだけ甲斐甲斐しく世話をしたところで、本人の感情はもうはたらいていないと言っていい。生きてはいても、生きている人間の当たり前からはもう別の次元にある。年は26歳で、普通の人間ならこれから先も50年近くは生きていく年齢だ。でも、その間ずっと今の生活を、すなわち誰かの補助を常に必要とする生活を、ぼくらを含め家族親戚みんなで背負っていくことが果たして可能なのか。あるいは、他に選択肢はないのか、と(その選択肢を語りたいとは思わないけど)。
 もちろんみんなよくやっているとは思う。そうしなくちゃチハルの正常を維持できない状態だからというのもあるし、根本的に介護をやめてしまうことがチハルを見放すことと等しくなってしまうから、道徳的にもやらざるを得ないというのが現実だった。わかっている、それが仕方がないことなんだって。
 ところが実際問題どうだろう。ほんと、どうなんだよ。毎週毎週ようすを見に行っては、食事介助をしたり、着替えを変えたり、わざわざ時間を取ってまでしなくちゃいけないことなのか、と思ったりする。それをしたことでチハル自身に何か変化が起きるわけではないのだ。今の状態が、死ぬまで永久に続くだけだ。死ぬまでなんて、あまりに途方もなくて想像がつかないのだ。
 だから率直に、ぼくはそんなことをすることが不毛なことだと思ってしまう。
 そしてこういう意見を、以前実家に帰ったときに父親と話したことがある。互いに酔っていたから、ぼくもデリケートな発言を遠慮なく言ってしまったんだろうけど、これを聞いた途端、父は血相を変えてぼくの頬をぶん殴った。あれはまさしく本気のこぶしだった。一発だったけど、正気に戻るには十分な威力で、ぼくは殴られた痛みと同時におっかないほどの苛立ちもざわざわと湧いてきた。
 低い声で、二度とそんなことを口にするなと父は言った。
 それに対してぼくも言い返した。
「ぼくの言うことが理解できるからあんたは殴ったんだろ! みんな心の中じゃ結局そういうふうに思っているんじゃないか!」
「違う」親父は語気を強めて言った。「不毛じゃない。不毛なわけがあるか。死ぬまで寄り添うのが家族だ。ずっと一緒にいる家族だから父さんたちはチハルの面倒を見るんだよ」
「だけど何にもならないじゃないか!」
「何にもならなくていい! チハルが生きていてくれればそれでいいんだ」
「ぼくには、あんな姿のままのチハルをずっと面倒見るなんて無理なんだよ! いつか頭がおかしくなる。もしかしたらもうなってるかもしれないし、だいたいもうみんな頭がおかしいんだよ!」
 その乱暴なほど無責任な言葉を最後に、ぼくは父親とそれからどんな話をしたか記憶が定かではない。ともあれ、翌日ぼくは家族に何も言わないまま、荷物をまとめて実家を後にしたし、以後なるべく家族とも連絡を取らないよう意地を張ってしまうようになった。
 ぼく自身、もう二十代も半分を折り返し、いろいろ結婚だとか、子どもだとか、家族のことを考えなくてはならない時期に差し掛かっていることはそれなりに理解していた。しかしながら、上述のようなありさまだから、当面は一人で気ままに生きることを楽しもうと頑なになってしまっていた。
だからぼくは他人と家族の話をするのがたまらなく嫌いだ。

1月初旬、県の管理する大型水族館のポスター制作の広告が出て、ぼくの勤める会社が見事落札した。決して羽振りのいい金額とは言えなかったけれど、1月や2月は決算前だから大きな広告が出ること自体少ない。とりあえず、お金の足しにということで申請したところ、落札できた次第だ。それでもってたまたまぼくの手持ちの業務がなかったもんだから、その担当に任命された。
「これっていつまでなんですか」
広告の資料を適当にパラパラと眺めながら、直属の上司である吉岡さんに訊いてみた。
「八月」
「意外と長いんですね」
「新装オープンが八月のお盆のころになるらしいから、できれば七月中に成果品を収めてほしいそうだ」吉岡さんはあご髭を撫でながらそう言った。
その後、ぼくは水族館のほうに直接連絡をして、仕事を受託したことと詳しい打ち合わせの日程などのメモをして電話を切った。
「来週あたり打ち合わせに行ってきます」
「おう、頑張れよ」

翌週、ぼくはダウンジャケットにショルダーバッグという恰好で水族館にやってきた。定刻に到着すると入り口に連絡した相手が立っており、ぼくを待ってくれていた。彼はそこの水族館の作業服を着ており、名札に長瀬と書かれていた。
「こんにちは、お待ちしておりました。長瀬です」
「〇〇広告のオハラと申します。本日はよろしくお願いします」
ぼくは名刺を渡し、長瀬さんからも名刺を頂いた。
「じゃあ、早速」
ぼくは長瀬さんに促され、水族館に入った。
今回訪問した水族館は、調べてみるとぼくが生まれる数年前に県では最初の水族館としてオープンしたものだった。およそ三十年が経過した現在、施設のあらゆるところの老朽化が進んだこと、新しい時代に見合った生き物の展示を打ち出していきたいという目的からリニューアルすることが決まった。今はリフォーム工事の真っ最中で、水族館の外側も鉄骨やらが組み立てられており、水族館の内部も所々で作業が行われていた。
「水族館の中心に大きなアクリル水槽があるんですが、これが一番の厄介者でして。動かさなくてはいけない生き物も多いし、大きいし、手間がかかるんです」と長瀬さんは教えてくれた。
「サメとかもいるんですか」
「はい。ジンベエザメやトラザメ、シュモクザメがいます」
「いつも水族館とかの水槽とか見てて思うんですけど、ああいう大型の魚類は一緒の水槽にいる魚たちを食べたりしないんですか?」
「その質問はよく投函箱に入れられていますね。まあ確かになるほど、と思う疑問ですよね——実はですね、決して共食いなどがないわけではないんです」
「はあ」
「ただし、それは群れの中で弱ってしまったり、はぐれてしまった個体が食べられるだけで、ふだんの活発な生き物たちはそこまで食べられたりしません。ちゃんと飼育員が給餌を行っているので食欲は満たされている状態であれば、そういうことは滅多に起こらないんです」
「へえ、さすが。長瀬さんは海の生き物が好きでこの水族館に?」
「まあ、そうですね。家が海の近くにあったってことや子どものころ親に何度か連れてきてもらってのが影響しているんだろうと思います。私は瀬戸内の島の出身なのです」
「そうなんですか。瀬戸内はいいですよね。私も昔大学のころ、一人旅で広島の尾道から愛媛の今治まで自転車で走ったことがあるんです」
しまなみ海道ですか」
「そうです、そうです」
初対面の人と話をしなくちゃいけないとき、人間どうしたって他人との共通項を探そうとする。雰囲気が行き詰まらないようにする次善策なんだろうけど、そういうときは必ずと言っていいほど身の上話になってしまう。自分がどうで、家族がどうで、だからこう。
ぼくの場合、エピソードのルーツは決まって自分の家族だった。
今の仕事のルーツも、大学進学のルーツも、趣味のルーツも、突き詰めると家族の中の誰かや家族内のイベントになってしまった。そして家族に関係する話を持ち込んだり、持ち込まれたりすると、ぼくはどうしてもチハルのことを思わずにはいられなかった。
チハルはいとこでしかないけど、ぼくたちは幼少期から思春期というダイナミックな時代をともに生きてきた。だから彼女がぼくにとってどれだけ大きな存在であったか、今の状況が状況だけに最近より強く感じるし、つい考え出して思考の穴ぼこに落ちて身動きが取れなくなる。
苦悩の始まりはチハルが高校生で事故に遭ってからで、その後ぼくの生活はずっとよろけたままだった。限りなく細い針の上にやっとこさ立っているという感じで、夜中になると深海に沈み続ける悪夢にうなされた。チハルの事故後は、自分の半身がまるごと食い破られたような心地で、精神のバランスがやにわに覚束なかった。心臓の落ち着かない日が毎日のように続いた。
長瀬さんが水族館について解説している間、ぼくは展示されている海の生き物をぼんやり眺めていた。頭をかしげたようなクラゲが何種類もいて、円筒状のアクリルケースの中をゆらめいている。底にある光源に照らされることで、半透明なクラゲはぼんぼりのようにぽうぽうと瞬いていた。最近流行りのダイオウグソクムシは昏迷の砂地の奥底にじっとしていた。深海の生き物だから、動きは緩慢で、なんだかタカアシガニのように見えた。
「オハラさんは海の生き物はお好きですか。なにか気になるヤツはいますか?」
なんとなく気が合った長瀬さんが、そのような質問を投げかけてくる。ちょうど水槽を見ながらチハルのことを考えていたからだろうか、ぼくは小さく一言、クジラと答えた。
「ええっと、クジラ、ですか」長瀬さんはぼくの予想外の答えに目を丸くした。が、すぐにこう切り返した。「当館には生きたクジラはいませんが、クジラの腸なら展示してますよ」
「ちょう? ちょうというのは、あの、お腹の?」
「はい、その腸です」
「あの腸ですか」
「見てみたくないですか?」
目じりにしわを寄せた長瀬さんが嬉しそうに尋ねてくる。きっと、当館自慢の展示品なのだろうと察することができた。ぼくは年甲斐もないほどの大きな声で、見たいですと答えた。

とどのつまり300メートルといったら、あべのハルカスと同じ長さだった。長さというと誤謬があるけど、そこはそれ、通じてみれみよ。とにかく長瀬さんに案内されたのは、二階にある展示コーナーで、目の前には巨大な石碑と言わんばかりのアクリル板が壁に埋め込まれていて、その内部にマッコウクジラの全腸がジグザグに収納されていた。そしてその長さがおよそ300メートルあると教えてくれた。実際本物のクジラの腸を見たことなんて今回が初めてで、肌色で、脳のしわみたいな蛇腹が無数にあって、正直なところずっと見ていると気分を損ねかねない見た目をしていた。
「なかなか、こう迫力が」
「同じ哺乳類の内臓でも、こんなにでかいとやっぱりクジラという生き物がいかに巨大かが理解できると思います。海の生き物が総じて大きいのは、やはり生息地である海が大きいからです。海が大きくて包容力があるから、生き物たちも大きくなるものだと私は考えています。陸上は狭いですけど、たとえばアフリカのサバンナなども荒野はどこまでも広く、果てしないので、大型のアフリカゾウやバイソン、ライオンたちも伸び伸びと成長できるんだろうと思います。逆にこれが都会とか、いろんなものが密集している場所においては、生き物は極端に大きくなれないと思うんですよね」
確かに渋谷の交差点をバイソンが闊歩していたら大騒ぎになるに違いない。というか、人間は人間以上の大きさの生き物を前にすると基本的に焦りを感じる生き物だろうとも思う。
「ひるがえって考えてみると、こういうことも想像できませんか。広い土地には大きな生き物がいると」長瀬さんの言葉が徐々に熱を帯びていく。
ああ、この人も一種のマニアなんだな。
「たとえば湖。ネッシーなんてもう死語とか言われそうですけど、琵琶湖なんかに大きな水生動物がいたらそれはまさしく浪漫だと思うんですよね。それから砂漠。過酷な環境下には天敵が少ないのがお決まりの概念です。で、しかも広い。ラクダ以外にもっと大きい動物がいたら、めちゃくちゃ興奮しませんか。そして宇宙! 宇宙に生き物なんて、みたいなナンセンスな意見はいりません。アンドロメダみたいな巨大星雲の中に、もうそれはとてつもなく大きなサソリのような生き物が潜んでいるとしたら——!」
らんらんと輝く長瀬さんの顔を直視することができない。そうか、この人、気が合った途端おしゃべりが止まらなくなる人だ。ぼく的には、わりと面倒くさいタイプの人だった。ぼくに、いる、と答えてほしいのか、長瀬さんの表情のわくわくがぼくをとっつかまえて離さない。絶対に答えてほしい長瀬さんと絶対に答えたくないぼく。ああ、膠着した空気が気まずい。そんなのいるわけないですよ、とか言ったら落ち込みそうだもんなあ。面倒くさいなあ、そこはかとなく面倒くさい。もう一回言うけど、面倒くさい。何を隠そう面倒くさい。
ぼくは深呼吸をして、長瀬さんに言う。
「あのですね、いるかもしれなくもないわけじゃないんでしょうけど、よしんばいるという前提で話をするならばいないという可能性をあらかじめ協議した上でいるということにしておけば、絶対にいなかったとしてもいなかったことで長瀬さんが受ける損害を小さくすることはできるはずで、いや、あの、別にいるとかいないとかそういうレベルじゃなくてですね、とどのつまり、強いて言えば、普通はいませんよね、っていう意見が当然というか、まっとうっていうか、マットウクジラっていうか、あはは、いや、馬鹿になんてしてないです。滅相もない! するわけないですよ。ね、だって、ほら、ぼくたち人間だって元をたどれば宇宙の子ども、そうスターチャイルドなわけですし、ね。あの、そんな鬼のような形相されますと、なんていうか、あ、じゃあ、あの!スターチャイルドで思い出しました! モノマネします! モノマネ! えー、『2001年宇宙の旅』の冒頭でモノリスを前にしたときのサル!」

ぼくが事務所に帰ったのは、夜8時過ぎだった。事務所はまだ明かりがついていて、ただ一人先輩の吉岡さんだけが残っていた。吉岡さんは毎日9時近くまで残業をしている。会社の中では一番仕事ができる人で、デザインの才能もさることながら人との交渉術がうまく、要するに口が達者なアーティストなのだった。
「お疲れさまでした。もうみなさんお帰りですね」
長瀬さんとの打ち合わせでいただいた大量の資料を入れたトートバッグを机の下に置きながら、吉岡さんの背中に呼び掛けた。
吉岡さんは左手でキーボードを打ち込みながら、右手でテンキーを小気味よく叩いていた。いわく両利きだそうで、物事を同時並行で行わないと窒息して死ぬのだとか話していた。だったらぼくなんかとっくに棺桶だ。
「ずいぶん遅かったな。外食でもしてきたの?」吉岡さんは作業の合間にサンドイッチを頬張っていた。
「はい。打ち合わせの方と意気投合しまして」
「お前にしては珍しいね。意見が言いやすい人? 感性が近い人? それとも、相手がうわてでいろいろ聞き出された?」
「サルのモノマネしたらえらく気に入られて、ごはんまで奢ってもらいまして。また来週打ち合わせしましょう、と」
「みょうちきりんな懐の入り方してんなぁ」と吉岡さんはからからと笑った。その話でようやく彼はぼくの方に椅子を回した。ぼくは適当に会話をして帰るつもりだったけれど、会社に二人だけ残ってどうでもいいことをダラダラと喋る時間は案外きらいではなかった。まるでこの世の端っこに二人だけいるようなそんな気がした。
今日水族館で長瀬さんと話していた中の、懐が広いところで生きていれば自然と大きくなる、というのは存外真理をついているような気がした。義務教育という堅苦しい世間を経て、ステータスを比べあうギスギスとした大学生活を過ぎて、最終的に自分で選んで仕事に就いてみて、どのときが一番伸び伸びしているかと言われたら、やっぱり今だった。自分の個性に過敏なケチをつけられたりせず、お金も貰えて、それなりに自由が利く、それが今だった。成長という度合でいうなら断然就職してからのほうが大きいことは、まぎれもない事実だった。
「アーティスト吉岡にお尋ねしたいのですが」とぼくはわざとらしく前置きをして質問をする。
「大きな場所には大きなものが住み、小さい場所には小さいものが住む、ということについてどうお考えになりますか?」
「それは、なに? 井の中の蛙大海を知らず的な意味?」
「いや、まあ、ある意味それも正しいんですけど、そうじゃなくてですね」
「?」
「都会には人が住む、山には大きな熊がいる、海にはもっと大きなクジラがいる、じゃあ海より遥かに広大な宇宙には何が潜んでいるんだろう、とか思って」
「ううん、そうだなあ、クジラより何倍もおっきなものっつたら、そりゃあ人間の探求心か好奇心しかなくね?」
「そういうカッコいい答え持ってるんなら、どうして打ち合わせの前に教えてくれなかったんですか!」
「今思いついただけだからさあ」
吉岡さんは爽やかに言う。サンドイッチを食べてる姿すらさまになってしまう。カジュアルなスーツを着こなしていると、もうランチパックのCMにしか見えなくなってくる。
「宇宙は大きすぎて分からないことだらけ、だからみんなそこに何があるのかを調べようとしているんじゃないの。行きたいと思うんじゃないの。あれだけのお金をかける価値があると思って、みんな大きな宇宙に手に余るほどの夢を馳せているわけじゃん」
「そうですね。吉岡さんのおっしゃる通りですよ」
何も言い返せない自分が悔しい。
「そういう、なんていうかな、分からないものほど大きく捉える、大きな想像力で包み込むことってすごく大事なことでさ、人間相手にしてもそうじゃん。この人は男だからこうとか、穏やかな性格だからこうとか、先んじた自分の解釈をベースに付き合うより、この人は女性だけどこうかもしれないとか、厳めしいツラしているけど実はこうかもしれないとか、フィクションぐらいのつもりで想像するほうがワクワクすんだよね。どう、しない?」
「それは吉岡さん流人間観察術ですか」
「まあ、言い得て妙だよ」
吉岡さんは額をぽりぽりと掻くや、煙草吸ってくると早口に言い捨ててぼくの前から去っていった。二人だけのテンションだったのか今日の吉岡さんは妙に饒舌だった。ぼくが相手だったからかどうかはわからない。が、ふだん垣間見れない人の一面に触れて嬉しくなって、ぼくは上機嫌で会社を後にした。

2月。紅梅香る季節になれど、朝の気温は氷点下。昨日の晩から雪が降りしきり、朝目が覚めると一面真っ白な世界が窓の外に広がっていた。ぼくは他の職員と比べ、職場までの距離が近いし、おまけに健康のため自転車通勤していたので、朝一の出勤を命じられた。その真意はブラック企業よろしく這ってでも来て仕事をしろというのではなく、会社と駐車場を覆う雪の除雪作業だった。会社のグループラインでは、みんながぼくに向けて応援メッセージやスタンプを連呼してくる。猫がこたつで丸くなっているスタンプを見たときにはキレそうになった。
そんなわけで、
「クッソ、寒い! 寒いんだけど!」
ぼくは雪かきスコップを担いで節分の鬼のように憤慨していた。
会社の駐車場はそれなりの広さで、真っ白い絨毯に残るぼくの足跡は、あっちこっちに散らばっていた。どこを目指して進んでいるかもよくわからないし、雪かきの程度もどこもかしこもまばらだった。屋根に登って雪を落としたりもしたけど、量が量だけに断念した。雪かきひとつ満足にこなせないまま、時間だけが過ぎていく。清冽なほど澄み切った青空を見上げ、ぼくは白い息を吐いた。
そしてぼくは自分に言い聞かせる。
「いつも中途半端だなあ、お前は。何をするにも考えごとをしながらだから、ダラダラやって、満足感も達成感もロクにないままなんだ」
とくに大学時代がそうだった。
大学に入学すると、それまで以上にチハルとの距離が離れてしまったから、講義を受けていてもこれでいいんだろうかと苦悩したり、友達とガヤガヤ騒いでいるときにも、ふと我に返って冷めてしまったり、やがてはぼくの思い描いていたキャンパスライフは雨に濡れた砂の城のようにぼろぼろと崩れ果ててしまった。ぼくは誰とも話をする気力がなくなり、図書館で本を読んだり、趣味の絵を描いたり、一人旅の旅先で写真を撮るなどして気を紛らわせていた。学部の同級生の間では、ぼくはヒッピーと呼ばれていたようだけど、別段面と向かって話したりしたことはなかった。年次が上がるにつれ、それなりに就職のことなど考えてみた時期もあったが、チハルのことがちらつかない日はなかった。
要するに大学卒業後、実家に戻って職を得て、チハルとの距離や関係性を取り戻すか。
それとも無情な引力を断腸の思いで切り離し、県外で就職するか。
悩んで悩んで、結局ぼくが辿り着いたのは県外の広告制作会社だった。そして、現在そこの駐車場で雪かきをしているという有り様だった。みんなにはどう見えているかどうか分からないが、ぼくにとっては中途半端な顛末に他ならなかった。
ため息の数は無限に増えるばかりだ。一年につくため息の数は年齢と同じらしい。じゃあ今年は26個か。
ぼくは最終的に車が進入するスペースと、建物の入り口に通ずる道だけを丁寧に除雪し、なんだかもうやり切った心地でポカリスエットを飲み干した。重労働を一人に任せるというやり方は言わずもがな非効率だ。身体を動かして汗をかいたぼくは背中に張ったカイロを剥がして、遠くにぶん投げた。
そのカイロが落ちた先に見知った人がいて、わざわざぼくの投げたカイロをもって、こちらへ近づいてきた。そのときのぼくといえば、熱々ジューシーな肉まんを上から見たときみたいな、真ん中にいろいろパーツが寄っているみたいな、そういう辟易とした顔をしていたに違いない。
「おはようオハラさん。さっきからずっと見てましたけど、ちんたらちんたらやってたら後で怒られますよ」
「てきぱきやってましたぁ」
カイロを手渡してきた彼女は、ぼくの同僚の西京さんだった。黒のコートとグレーのマフラーで、頭にはクリーム色のニット帽。完全防備すぎて、絶対ぼくのことを手伝う気はないことがうかがえた。
西京さんは箴言だけ残すと、ぼくを無視して建物の入口に向かっていった。
というか、西京さんはどうして早い時間に出勤してきたのだろう。彼女は自家用車での通勤で、それなりに距離があるから午後出勤になっていたはず。
いろいろ勘ぐってみたものの、答えは出なかった。
それから午前中の間、ぼくは頑張って除雪作業に従事した。その日は朝から快晴で、道路の雪解けが早かったのか11時を過ぎたあたりから他の職員も会社にやってきた。西京さんのようにケチだけつけて建物に入っていく人はおらず、励ましの言葉や手伝ってくれる人もいたので大助かりだった。
西京彩水。
いつもレモンの香りがする彼女だけがぼくの非協力者で、悔しいかな同時にぼくにとっては目標の一人だった。
世の中いろんな才能に恵まれた宝石のような人が多くいて、彼女もまたその一人だった。西京さんは元女優という異例の経歴を持ちながら、絶頂期に突如芸能界を引退したかと思うと、ほどなくしてさほど目立つわけでもない県のさほどユニークなわけでもない普通の広告制作会社に入社してきた人物だった。ぼくを含め、誰しも彼女に対して有象無象のイメージを抱いていた。そのイメージというのはおおむねネガティブなものであり、元女優さんがうちに何の御用だといったようすで、みんな下人のごとく身構えていた。よしんば純粋に仕事がしたくて来たとしても、鳴り物入りの彼女の能力を期待している人はほとんどいなかった。
ちなみにその年にもう一人入社したのがぼくで、かたや女優業を引退した謎深き女性、かたや普通の大学を卒業した普通の男性という組み合わせだった。あらゆる意味でぼくたちの評価は相対的に互角だったし、西京さんはどうか分からないけど、ぼく自身はめちゃくちゃ意識していた。
ともあれ彼女の才能がめきめき頭角を現すのに時間はさして必要なかった。我々の仕事は要するに広告やポスター、キャッチコピーなどを作って社会に伝えることだった。その手法は多種多彩あるけれど、西京さんが得意としていたのは写真だった。彼女は自分が撮った写真を素材にデザインしていくタイプの人間。頭角を現したというのは、結局彼女の写真が惚れ惚れするほど素晴らしくて、みんな認めざるを得なくなったということ。デザインとかアートの良し悪しなんて、全般他者に委ねられるものである以上、他者の評価がもれなく自分の値打ちだった。
ぼくもその他者であり、確かに西京さんの写真は折に見るにつけ、脱帽するものばかりだった。
構図ですよ、構図。それが全然狙っている感じにならないのが西京彩水の真骨頂だった。
彼女いわく、
「誰も見たことのない写真を撮ろうと思うなら、誰も見てない視点からのぞけばいいんですよ。そこに何かしら物語が仄めかされているときとかは、ああこれはいいのが撮れるなって思ってます」
「西京さんはそういう物語に居合わせることが多いタイプの人な気がする」
「どうかなぁ」
西京さんは自分のiPhoneのカメラロールの写真をずっとスクロールしている。
「西京さんってデジカメとかでは撮らないんですよね。そういうので撮りたいとか思わないんですか?」
「わたし、機械オンチなので」
などと言って、彼女はバッテンマークを作った。そういう問題なのかと思ったりしたけれど、そういうことらしい。才能がある人であることをみんな認めているからか不用意にこうした方がいい、ああした方がいいと薦める人はいない。
「でも最近、わたし顕微鏡で見る世界が好きだったりします。肉眼じゃ見えないけど、顕微鏡でのぞいてみるとすごく美しい景色ってあるじゃないですか。それを探し求めるのが好きで、今うちにNikonの光学顕微鏡が2台あります」
さっき機械オンチって言ったじゃん、顕微鏡は機械じゃないんですか、というツッコミは引き下げた。
「最近顕微鏡で見たもので良かったものってなんかあるの?」
「そうだなあ、お札だったかなあ。うん、日本銀行券は見る価値がありましたねえ」
「へえ」
「謎解きをしているような感覚になるっていうか。あの160mm×75mmのキャンバスの中に、それはもう無数の趣向が凝らされていて、それを探していると時間を忘れるんですよ。や、だってですよ、普通の人は単純に買うのに使うだけのものなのに、あれだけの仕掛けが鏤められているんですよ。本当はあんなに手が込んでいるのに、それに関わらず、別に知ってもらわなくても全然構いませんから、これからもいつも通りお買い物に使ってくださいね、みたいなそういう殊勝さにまいっちゃって。ぎゃー! ってなっちゃって」
「ぎゃーってなったんだ」
「ほんと完全キャッシュレスになる前に知ることができて良かったです、という話ですね」
「いい話だ」
そういうような会話をする中で、西京さんとはわりと親しくしているつもりでいたんだけど、いつ頃からか素っ気なくなったというか、あえて言葉にするなら、適度に距離を置かれるようになってしまっていた。それからのぼくと言えば、やにわに気が気でない時期に突入しちゃって、何か良からぬ印象を与えてしまったのではないかとか、男の気配がないか気になったりとか、女々しいやつになってしまった。それは自意識過剰だよって、ぼくの心に潜む本音マンが口うるさく囁いたりするんだけど、一度ハマってしまうやにっちもさっちもいかなくなってしまった。
恋愛感情?
そんなの違う。そういう邪な考えとはぼくは是が非でも手を組まないと誓ったはずだ。
そんなふうに自分の感情を否定すればするほど、西京さんとすれ違ったりするたび、あるいは些細なことで声をかけられたりすると、日がな一日そのことを思い返したり、妄想をむくむくと膨らませてしまうのだった。
極めつけはインターネッツさ。
まあ聞いてくれよ。西京彩水は元女優さんの歴史がある。となると、当然ながらインターネットの海を泳げば、そりゃあもう彼女の情報がわんさか溢れかえっていて、ああもう畜生、ぼくの心を掻きむしるがごとき記事に正面からクラッシュするわけで、つらいのなんのって。最初は好奇心のつもりだったよ。彼女が潔白であればいい、その確信さえ掴めたら素直に退くつもりだったんだ。ところがどっこい、ああいうゴシップ記事なんていうのは、すべからく黒にも白にも取れるような表現ばっかりしてんだ。いじらしいったらない。いやいや、そんなの直接彼女に真相を確かめてみればいいじゃないか、って言うけど、できるわけない。ぼくには到底できやしないよ。そんなの訊こうものなら、あれ、こいつわたしのこと好きなんじゃ、みたいな勘ぐりをされるかもしれないし。
そう、とにかくぼくは西京さんとの関係が何も変わらないままであればいい、ただそう思っているだけなんだ!
だから!
「好きなんかじゃ……好きなんかじゃ……」
「あ、オハラさん、電話鳴ってます」
ぼくの隣のデスクに座っていた職員の方に指示されてぼくは慌てて受話器を取った。
「あっ、もしもしオハラです」
『どうも、先日お世話になりました△△水族館の長瀬ですけど——』
電話の相手は、長瀬さんだった。
「どうもお久しぶりです。何かありましたか」
『いや、依頼していたポスターの件ですが、どんな調子かなと思いまして』
「えっと、まあだいたい構想は固めまして、最近はいろいろレイアウト案を練りだしているところですね。前回の打ち合わせ記録簿を参考に、基本的には長瀬さん側の要望に即したものを作ろうと思っているんですが」
『了解です。我々どもも意見を交わす中で、深海生物エリアのポスターはエディアカラ動物群のような古代感を全面にかもし出すような雰囲気にしてほしいというリクエストがあったりしたものですから、オハラさんの都合もありますし早めに伝えておこうと思いまして』
「ああ、わかりました。変更はいくらでもできますので修正点などあればまた連絡ください。こちらもある程度形ができ次第お伺いしたいと思いますので。よろしくお願いいたします」
ぼくは電話を切って、給湯室で休憩することにした。いろいろ頭がこんがらっているような気がする。実際そんなことはないのだろうけど、なんとなく休む理由を強引にこじつけたかった。
給湯室にはお座敷があって、そこに木製の円卓がある。円卓の真ん中には急須とお茶のパックがあって、職員は好きに利用することができる。ブラインドの隙間からは、道路を行き交う車の流れが見え、今日はちらちらと雪が舞っていた。
帰りは寒いだろうなと眺めつつ、お茶をすすっていると、給湯室の扉が開いて西京さんが入ってきた。それでぼくはちょっとどきりとして、身体の位置はそのままに頭だけ彼女の存在に気づいてあげた。かと言って遠くから何か話しかけるわけではない。西京さんはお菓子やら入っている什器からティーパックを取り出し、自分のマグカップにポットのお湯を注いだ。スプーンで中身をかき回しながら、ぼくの座る円卓の対面に正座した。
西京さんは穴に落ちたものを上から見下ろすみたいに、ぼくが両手で包んでいるカップをのぞき込んだ。
「それ、なんですか?」
「梅こぶ茶」
「好きなんですか」
「子どものころ、よくおばあちゃんが作ってくれて」
「オハラさんっておばあちゃんっ子ぽいですよね。人に甘えるのが上手そう」
「甘え下手だよ。みんな兄ばかり可愛がっていたから」
「そういえばお兄さんがいるって言ってましたね。いくつ上ですか」
「三つ上」
「じゃあ29歳? なんの仕事してるんです」
「あのひとは何もしてないよ。何にもしてない」
「何もしてないんですか」
「そう、あのひとはMTMなんだよ」
「えむ、てぃー、えむ?」
「MTM(マジでただの無職)」
「すごい言葉が出てきた。それは面白いけど、なんで略したの?」
「あんまり人に話したくないんだよ」
「ふうん。なんか複雑そう。オハラさんってあんまり自分のこととか家族のことについてエピソード話しませんよね」
「MTMについて話すことなんて何もないし、そいつに未だに期待をしている親のことなんか何も話したくないだけ」
「じゃあオハラさんにとって家族は他人に近い感じですか」
「そうかも。あの人たちは他人に近い。あの人たちに対する家族愛みたいなのは最近はもう湧いてこないかな」
「なら、オハラさんにとって家族みたいなひとって、今までにいたんですか?」
西京さんの発言に対してぼくはつい黙ってしまった。黙って硬直した。黙ったまま、どう答えようか、どう答えるのが一番ぴったりなのか長々と考えてしまった。先に言うと、ぼくの答えはチハルと最初から決まっていた。兄や家族との距離が離れていく中で、唯一チハルだけがぼくの心に居座り続けていて、時間や自分たちの変化をひっくるめてずっとずっと向き合っていたひとだった。
チハルはぼくの中ではかけがえのない、ほんとうに家族みたいな存在だった。それに異論はないし、今後も不変的である確信はある。けれど、西京さんの質問に対してチハルという実在する人物を伝えることが、ぼくにとってはなかなかに苦痛だった。純粋な質問であるがゆえにぼくも答えてあげられるなら答えたいけれど、チハルの現在の状況をことさらに聞かれたら、ぼくは二の句が継げなくなる。そこまでして話す内容じゃないし、結局のところ、チハルはぼくの中で留めているのが一番正しい気がしているから。
だから答えるべきかどうか迷って、沈黙が長く続いた。
「……」
「オハラさんの無言は、答えがあるんだけど言うべきかそうじゃないかで悩んでいるっていう意味ですかね」
ぼくは黙ってうなずいた。
「わたしが相手だから言えませんか」
ぼくは下を向いたまま、首を横に振った。振ってしまった。
「誰か……別の誰かにその人のことを話したことはあるんですか」
ぼくは再度首を横に振る。
「この会社の人たちには話したことない」
「そうですか。じゃ、その人のことがよっぽど大事なんですね」
ぼくが口をつぐんでそれ以上何も話さないことを悟ったのか、西京さんは適当に話題を変えてくれた。女優だったころの話とか、中央アジアに旅行に行った話とか、休みの日の時間の使い方とか。それが彼女なりの気の遣い方で、ぼくはたいしたリアクションを取らなくても成立するような空気に仕立ててくれたことが嬉しかった。
休憩を終えて、ぼくたちは同じタイミングで立ち上がった。
「さて、もう少し仕事しますか」
「今日はノー残業デーだし、定時ダッシュをぶちかますつもりで仕事しよ」
「そうだ、オハラさん」
西京さんがふと思い出したようにぼくの方を見た。そして真剣な黒く深いまなざしでぼくに語りかけるのだ。そのときの彼女の目を何かの宝石に例えたかったんだけど、残念ながら閃かなかった。
「大事な人を大事にできる時間は必ず限られています。重要なことはそれをどんなカタチで大事にするかなんですよ。自分の中に閉じ込めておくのも一つの手段でしょうけど、わたしとしてはすごく勿体ないな、って。
「わたしだったら自分の満足できるカタチで表現しようと努めます。ほら、男性が好きな人に自分で作曲した歌を歌うみたいな展開あるじゃないですか。アレってすっごく恥ずかしいと思うんですよね。でもそういう歌は本人の中で十年だって数十年だって生き続けるじゃないですか。
「そんなふうに大切な誰かに捧げられた表現の持つ生きる力って、とんでもなくタフでたくましくて、道に迷う微かな自分をぎゅっと勇気づけてくれる気がするんです。
「オハラさんがその人のことを強く大事に思うなら、全身全霊を捧げられる表現を、思い切ってやってみてもいいんじゃないですか。
「その表現に対して真摯に向き合うからこそ、見えてくる感情もきっとあるはずです。
「鏡像である自分との対話の中に見出したもの。それこそが真実であり極致ですよ。
「わたしが言いたいことはそれだけです。もう一息お仕事がんばりましょう」
西京さんはぼくの背中を優しく手を当てると、じゃあ先に、と言ってぼくの横を過ぎ去っていく。そのときにかすめた彼女のレモンの匂いや長くつやめいた黒髪の残心が、蓄膿症で詰まっていた鼻腔の奥をこしょこしょとくすぐって、ぼくはしばらくの間突っ立っていた。
暖冬と予測されていた今年は、やっぱり例年通り雪が降ることが多くて、ぼくは寒い朝の坂道にぶー垂れながら自転車で会社に向かうというありきたりな毎日を過ごしていた。その中で変わったことといえば、ぼくが西京彩水という女性に恋をしたことくらいだった。

3月も半ばになると、住まいの近くの公園に植えられているソメイヨシノの蕾もずいぶん大きくなってきて、春の訪れがスニーカーの足音を軽やかに鳴らして近づいてきていた。運転中に聴くMr.ChildrenCROSS ROADがぴったり合う季節だった。
ところが実家の方は相も変わらずで、ろくでなしの兄がFacebookにチハルのようすを公開していたりして、ぼくの心の表面には嫌悪感が焦げたカラメルのように取り巻いて、黒い油でこびりついたみたいになっていた。車椅子に座る無表情のチハルとその手を取る兄のツーショット写真とともに、チハルは自分が一生をかけて守り抜きます、という厚顔無恥なコメントが力強く書かれていた。ご丁寧にチハルの身体が不随になってしまった経緯まで滔々と綴られていて、お前は何様のつもりなんだって、何もできない無職が、というところでぼくははらわたが煮えくり返りそうになった。
怒気に震えたぼくは、スマホを全身の膂力で壁に激しく投げつけた。ボゴンという音とともに壁にめり込んだスマホはそのまま重力にしたがって落っこちた。近づいて拾ってみると、液晶ガラスには銃弾の打ち込まれた防弾ガラスのように無数のひびが入っていて、冷静に戻れなかったぼくは鶏の首を絞めるかのごとく指でスマホをしゃにむに圧迫した。バキバキと画面がひしゃげ、ぼくの指や手のひらからは鮮やかな赤い血があぶくのように吹き出した。
興奮とろくでなしとチハルの残像が頭の中でサイケデリックなマーブルを描き出し、ぼくはすこぶる気分が悪くなった。悲しみが胸の奥に鈍く刺さったままで、ぼくは両手を振り乱した。どくどくと溢れ出す鮮血が、部屋のあちこちに飛び散って、たいへんな状況になった。勝手に涙まで出てきて、ぼくは目をこすったり顔を拭いたりした。ひりひりが止まらない。これ以上おかしくなるのが怖くて、ぼくは慌てて洗面台に行って水を飲もうとした。そのときに目の前の鏡に写った血まみれの自分を見て、ぼくはわめきそうになった。そして実際にわめいてしまった。26歳にもなる男が、自分を抑えられなくて暴れた。わけもわからずクローゼットの扉を殴り続けた。飽き足らず、自分の顔面や腹や足まで殴りまくった。
全部が悲しすぎて、本気で死にたくなった。
おかしくなったのは、家族だけじゃない。自分もだった。
そのときは日曜日の夜で、普通に次の日も仕事の予定だった。しかしこんな乱れてしまった状態で会社に行くのは絶対無理だと思って、先輩の吉岡さんに明日は休みますという連絡をしようとした。ところが連絡手段のスマホは先ほど見事なまでに粉砕されたし、部屋の状況は真っ赤なままだし、冷静さを徐々に取り戻してくると両手に激痛が襲ってきたし、一日中ごはんを食べてなくて思考もままならないし、でも明日無断で休むとみんなに迷惑がかかるし、ああ、いったいぼくは何をしているんだろう。馬鹿だなあ、この馬鹿。ちょっとは考えろよ、ていうかしっかりしろ。
落ち着きを取り戻すにはそれなりの時間が必要だった。ひとまず部屋のことは後回しにして、明日ちゃんと仕事に行くことを考えようとした。お風呂でしっかりと赤を落として、綺麗にしたあと夜のコンビニに出かけた。その時間帯にはもうお弁当などがあんまりなかったので、おにぎりと野菜スープと、それから包帯を買った。家に帰って夜ごはんを済ましたら、暴れた疲れがどっとやってきたので、怪我した両手を包帯で巻いて眠りについた。アラームをかけて翌朝7時過ぎに目が覚めた。家賃6万の部屋は壁の至る所に真っ赤な点が水玉模様のようになっていて、見え方によっては前衛的なアートのようだったけど、なるだけ深く考えないようにした。あらとあらゆるところが凹んだり、壊れたり、倒れたりしていたけど、別に誰かを部屋に呼び込むわけでもないのだし、と思ってぼくは会社に出勤することにした。包帯で太くなった手には、お気に入りの手袋が合わなくてちょっと悲しくなった。
仕事を始めると指が使いにくいのなんの。キーボードでAと押すと一緒にcaps lockまで押しちゃって日本語入力に戻すのに時間がかかったりとか、Enterキーを押すと一緒にdeleteまで押して作っていたデザインがまるっと消えたりするとか。とにかく差し支えまくって、我ながら馬鹿だなとため息をついた。また、手がそういう見た目だから色んな人に心配されるし、猫に噛まれてたんですと適当な嘘をつくと顰蹙を買うし、散々だった。
西京さんとはお話すらできなかった。
次の日は有休を取って、スマホを新しくした。薬局で消毒液とかガーゼも買って、自分の手はもう少し大事にしなくちゃなと改めて痛感した。もう今回の件で懲りたぼくはスマホのアプリについても、SNSの類は一切インストールしないことにした。他人に取られる時間は、もっと自分の成長に充てるべきなのだ。
そのようにして、一通り自分の生活を元の状態にすることができた翌週の金曜日は会社においておめでたいことがあった。
西京さんの撮った写真が□□新聞の写真コンテストで特別賞に輝いたのだ。午前中、彼女宛てに連絡があり受賞の旨と表彰式の日程が伝えられた。近日、受賞のインタビュアーが会社に取材に来るというたいした扱いもあって、午後はみんな仕事を休んでささやかな祝勝会が開催されることになった。
ぼくはお酒やおつまみの買い出しに行く役割で、スーパーに向かった。運転中、ぼくは自分の立場と西京さんの立場に大きな開きができたことについて、当然悔しくもあったけれど、まあそんなもんだよなと結果を受け入れている甘っちょろい自分がバックミラーに写っていて若干のさみしさを覚えた。
会社に戻ってくると、いつも外部と打ち合わせをする一室でパーティーの準備が行われていた。ぼくが帰ってくるや、みんないじってくる。冗談に聞こえるものは少なかった。彼女が賞を受賞したという揺るがない結果は、ぼくと西京さんの比較事項を浮き彫りにしただけだった。愛想笑いでごまかしながらテーブルの真ん中にお酒やおつまみを置いている自分があまりにみじめで、包帯から絆創膏に変化した自分の手や指が枯れ枝のようにとても細く見えた。
社長の音頭を合図に、みんな三々五々思い思いに話をしていた。注目はもちろん西京さん一択で、彼女の栄誉を称えようと代わる代わる人が話しかけていた。西京さん自体とても女性として映える顔立ちをしているため(元女優だもんな、当然っちゃ当然)、まるでアイドルの握手会みたいに少し話をしたらもう次の人が後ろで控えているみたいな構図になっていた。ぼくも一瞬並ぶべきか迷ったけど、雑事をすることに徹することで人の目から紛れようとした。でも、ぼくが西京さんに恋をしてしまっていることはどこにも紛れようのない真実だし、自然と目が追いかけてしまっていた。ぼくはお酒は飲まず、逃げるように給湯室に入った。普段より五倍も丁寧に梅こぶ茶を作って、行きたくないという気持ちをぐっと押し殺しながら、賑やかなパーティー会場に戻ることにした。
戻ったところに運よく西京さんがいて、彼女はテーブルの上のおつまみやお菓子を選別していた。なおかつ彼女の周りには人がいなかったので、ぼくもさりげなくチョコレートを手に取った。西京さんがぼくに気づいた。
「あ、オハラさんだ」
「西京さん。特別賞おめでとうございます」ぼくは手放しに彼女を褒めた。
「賞を取れるとはちっとも思ってなかったんですよ。ラッキーでした」
「じゃあ無欲の勝利ですね」
「内心は取れればいいな、って感じでしたけどね」そう言って西京さんはにこやかに笑った。「なんかオハラさんと話すの久々な気がする。手の怪我は大丈夫なんですか?」
彼女は痛々しいものを見るような目でぼくの手に注視した。
「もう痛みはないけど、お風呂に入るとまだしみるよ」
「じゃあ早く良くなるといいですねえ」
西京さんはぼくの怪我のことについて、どうしてそうなったのか聞いたりしてこなかった。前の件があって以来、彼女がぼくのことについて踏み込んでくることは少なくなった。
と思っていたのだけど。
「ねえ、ちょっと聞いてもいい? わたしの写真ってどの部分が評価されたのかな。オハラさんはどう感じた?」
西京さんはそういうと自分のiPhoneを取り出して、特別賞を受賞した写真をぼくに見せてくれた。実に写真を見るのはそのときが最初だった。日付を見ると撮影日は4年前の3月。4年前といえばぼくが入社する一年前で、同時に彼女もこの仕事を始める前の期間だった。
写真は外国の山間部の景色で、中央の水平線より上の方は険しく白い山々が真ん中を取り囲んでおり、中心部には段々になった畑と村が見えた。村のあちこちに桃色の花を咲かせた樹がひらめいていて、夢の世界に訪れたような幻想的な風景だった。
「これね、パキスタンフンザっていうところで撮った一枚なの。ちょうど杏が満開だったときで、地元の人が連れてきてくれた石段の上の寺院から見下ろしたときの景色」
「前に中央アジアに旅行に行ったときの話してたけど、そのときの?」
西京さんはうなずいた。
「芸能界を引退した後かな、これからどういう将来を描いていこうかと迷っていたときに偶々雑誌で見つけて。一目惚れしちゃって」
「それで行ったの?」
「そう」
すごい行動力だと感心する。たいてい海外旅行と言ったらヨーロッパとか北米とか近隣のアジア圏とかさ、それなりに日本人にとっては敷居が低そうな場所を選択するのが一般的だと思っていたんだけど、そうじゃないところが西京さんらしいと思えた。
「スタートはウズベキスタンの首都タシケントで、あの辺の国は敬虔なイスラムの人たちが暮らしているから、空港で肌や髪を隠すためのスカーフを買ってそれを巻いてね。そうするとなんだか自分が着ぐるみを身に着けたような気分になって、人とコミュニケーションを取るのが面白くなったりするんだよ」
「へえ、面白いね」
「宗教都市のサマルカンドにはお洒落な人がたくさんいて、女性は花柄のドレスを身に着けたり、路上で地元のアクセサリーを販売しているおばあちゃんもいたよ。青の都と言われるだけあって建物の装飾の至る所に青が敷き詰められて、太陽の光が反射すると深い翡翠色になって、まあ綺麗だったなあ。あの地域は乾燥しているから、空に雲がかかっている日は少なくて、日中はさっぱりしてた。夜はホテルにいたからあまり気づかないけど、窓を開けるとおそろしく冷えるんだよ。日本みたいに夜通し明かりがついている場所はまずなくて、外は透徹した暗さに満ちていて、宇宙の最果てに連れてこられたような気分になったりして、すごく寂しさもあった」
西京さんの思い出話はぼくの脳裏で情景をつぶさに映し出していた。
「もちろんウズベキスタンでもいっぱい写真は撮ったよ。何百枚っていうレベルじゃない。見るもの感じるもの全部が真新しくて、細胞がめきめきと活性化されたような気分だった。そしたら自然の景色が撮りたい気持ちが湧いてきて居ても立っても居られなくなっちゃって。さあ、そんなわけでわたしはどこに行ったでしょうか」
という、いきなりの出題にぼくは不意を突かれたものの、ウズベキスタンから連想される景色をひとしきり考えてみた。想像力が乏しいから一つしか答えは出なかった。
「じゃあ、砂漠」
「正解! そう、わたしは砂漠に行くことに決めて、かつての王国の遺構が取り残されたキジルクム砂漠にタクシーで向かったんだ。都市から郊外に出ると景色はまさしく一変して、砂漠には道路と鉄道以外何にもないんだよね。砂漠にはわずかに植物があるけれど、遠目にはさかむけした皮膚の皮みたいにしか見えないし、しかも背丈はわたしの腰よりも全然低い。地上で横たえている木の幹は枯れていて、動物の骨が白骨化していたみたいに見えた。情緒はあまりなくて、でも景色は全然変わらない。不毛という言葉がこんなにぴったりな景色がこの世界にあるんだな、ってはじめてわかった」
西京さんはカメラロールにおさめられた何枚もの砂漠の写真をずらずらと見せてくれた。車窓から撮ったものだから、ピントがずれていたりして、目を引くような写真はあまりなかった。
「感傷からかけ離れた時間の止まった世界、それが砂漠なんだよ。そこに立っている自分は喜怒哀楽すら湧いてこない案山子みたいなもので、心はかさついていて、一人でいると本当に面白くなかった。ポジティブに捉えようという気分にすらならなかった。あれはほんとに、無情の砂漠だよ」
無情の砂漠。西京さんの言葉にどういう意味が込められているのかぼくには理解できなかった。砂漠の話をする彼女の手に握られた缶チューハイは斜めになっていて、こぼれてしまいそうだった。西京さんも物悲しい表情をしていた。
砂漠の景色にがっかりしたという西京さんは、別の景色を追い求めてウズベキスタンより南のパキスタンまで南下したのだという。途中タジキスタンにも寄ったそうだが、そのあたりの話はあまり聞けなかった。パキスタンの思い出はそれなりに豊かだったようで写真もたくさん撮ったらしい。その中のフンザという地で撮られた一枚がめでたく特別賞を勝ち取ることになった。
「寂しい砂漠を延々と見てたからだろうね。フンザの寺院に登って見たときの杏が満開だった景色に出会えた瞬間は涙が出たなあ。ほんとうの桃源郷だったもん。そしてパキスタンフンザで幸福な気持ちになれたわたしは、そこで日本に戻ろうと思ったの。女優ではなくなった自分の長いセカンドライフに生きる希望を得たっていうかさ」
西京さんは再びiPhoneの画面をスクロールして、一枚のセルフィー画をぼくに見せてくれた。おそらく西京さん本人であろう女性がフンザの地に背中を向けて大きくバンザイをしているものだった。
「これはどういう?」
「ん? えとね、このわたしが立って向いている方向は北のウズベキスタンで砂漠があった場所で、手を広げているわたしは、大声でもう大丈夫だよー! ありがとう! って吠えている場面なの」
「吠えてんの?」
「うん、吠えた」西京さんは照れくさそうにはにかんだ。そのときの表情が普段よりも幼く見え、ぼくはどきりとした。
「応募に出した写真は『フンザの春』っていうタイトルをつけたんだけど、実はわたしが写っているこの写真にも希望に満ちたタイトルがあるんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「へえ、そうなんだぁ、じゃなくて! どんなタイトル? って聞いてよ」
「どんなタイトル?」
面倒だなと思いつつぼくは尋ねてみると、西京さんは誇らしげに次のように答えた。

「ふりかえる無情の砂漠に春吠える」