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アプリnovelnove交流による企画。

三題お題小説 古都の三日月

レモン・イエロウ

【お題】
・レモン
・香水
・電柱


1. 善悪の彼岸、あるいはレモン色の悪夢

そこはひどく奇妙な場所だった。
空は塗り間違えたみたいなレモン・イエローで、凪いだ海に等間隔に突き立った電柱──かつては電柱だったもの、と言った方が正しいだろうか──が果てしなく沖の方まで続いていた。
途中で切れた電線、海藻がこびり付いた電柱の残骸、裸足の足をくすぐる海水の透き通った青色越しに、錆び付いた線路が見えた。かつてはこの海の上を電車が走るようなことがあったのかもしれない。
そして不思議なことに、ぱしゃん、ぱしゃん、と私が歩を進める音だけが間抜けに聞こえるばかりで、それ以外の音はなにも聞こえてこない。波の寄せる音も、カモメが哀しげに鳴く声も、風の音も──ここが海であれば当然聞こえるべき全ての音が遮断されている。
ただわけも分からず線路を歩いている、という事実に今更のように気付いた時、思いもかけない台詞が頭上から降ってきた。

「そこの死者!立ち止まるな」

驚いて見上げた先には、思ったよりも近い距離で私の顔を覗き込んでいる黒い犬を模した仮面があった。金の縁どりを施された目の窪みの奥で、金色の瞳が鈍く輝いている。
──死者?私が?
「私は……死んだの?」
「おい、立ち止まるなと言っただろう。もう裁判は始まっているんだぞ」
「……何が始まってるって?」

最初の質問も、次の質問も、当然のように無視される。大英博物館で見たような、筋肉質な男性の肉体に黒い犬の頭部を持つ人物の瞳は、間違いなく私を捉えているというのに。
仕方なく1歩を踏み出せば、彼は監視するかのようにすぐ横の海面を踏み締めて着いてきた。

「ここは冥界なの?」
「地下の国とも、西方の女神の国とも」
「それにしては海の上だし、砂漠もピラミッドも無いじゃない」
「では問うが、この世界に古代世界のような場所が未だにあると思うのか?」
「まず無いでしょうね。……それじゃ、さしずめあなたは死者を導く者<アヌビス>ってとこ?」
「そう呼ぶ者もいる」

怒られないように歩を進めながら投げかけた問いに対し、彼──アヌビスは無愛想に答えてくれた。
光沢のある黒褐色のスキンに、ゆうに2メートルはあろうかという身長と、奇妙なカリグラフィーを模した長杖。キメラ型の義体<ボディ>にこんなモデルがあったろうか──そもそも一体ここはどこで、あれは何で、どうして私はここに辿り着いたのだろう──。

「死者よ、並べ。そして審判を受けるのだ」

アヌビスの有無を言わせぬ台詞に顔を上げれば、電柱と線路が途切れたあたりに、ぽつんと証言台が設えてあった。その前には剥き出しのスキンのままのアンドロイド達が、審判の順番を待つための列を作っている。通常は人間と区別するために、白と黒で統一された作業着──旧人類時代の”メイド”だか”バトラー”だとかの衣装を模した、スキンをなるべく見せないように配慮された窮屈そうな代物だ──を纏い、心臓<コア>が見えるようにと透過ガラスになっている胸元から透けている色だけが唯一の色彩である彼等が生まれたままのスキンを晒している──それは非常に衝撃的な光景だった。
アンドロイド達のくすんだ白色のスキン、球体関節による不自然な人体の動き──衣服を失い、隠すものの無くなった胸元に輝く心臓<コア>の眩しすぎる蛍光色──それらが証言台にあがり、木槌の音と共に何かしらの宣告を受け、そして青い海の底へと真っ逆さまに落下していく──奇妙で、そして残酷なワンシーンがひたすらに繰り返されている。まるで壊れたVR<仮想現実>システムみたいに。

大きさも形もまったく同じで、ヒトのカタチをしている物体のスキンが、すべて同じ色をしていることも、妙に気持ちが悪かった。かつての人類は人種によって様々な肌の色を持っていたというし、実際、まだ生き残っている人類にも、黒褐色の肌や黄色を帯びた肌を持つ者は僅かながら存在している。勿論、この地上に残された唯一の非汚染地帯という名の、息の詰まるような相互監視社会においては、そういった「少数派の」人間は容易に差別と悪意の対象にされるわけだが──それでも、シェルター<ブリテン島>の外側に出ていくよりは遥かにマシだ。

「次!イエロウ・スミス」

証言台の脇に立ち、馬鹿みたいな長さの羊皮紙──数千年前でも既にデッド・メディア<死んだ情報媒体>だったはずだ──にしたためられた不可思議な文字列を指で追っていた男が、私の名を呼んだ。
トキの頭部と、褐色の肌の男性の肉体をもつ男だ。
長杖で追い立てるようにするアヌビスに負け、渋々証言台にあがる。
腰までの高さの手すりの向こうには、果てしなく深く、青黒い海が広がっていた。

「まさか、貴方がトートって言うつもりじゃないでしょうね」
「私がトートであることに何の問題がある?断っておくが、私はトートであって、トートではない。さて君は昨今の若者にしては珍しく、肉体におかしな機械もいれてないし、義体も使っていないらしい。職業は──ふむ。なるほど、旧人類時代が専門の考古学者ときたか。見たところ、大した罪は犯してなさそうだがね──アヌビス、彼女の心臓を」
「ああ」

アヌビスが証言台の手すりの向こうから、私の胸元に手を伸ばす。
逃げようと後ずさった私が動けないよう、片手で封じたアヌビスの、黒く塗られた右手の爪の先が私の胸元にずぶずぶと潜り込んでいく。衣服を突き抜け、肌と肋骨を通り抜け、まだ脈打っているはずの心臓をギュッと掴まれる。不思議と痛みはなかった。ただ、氷の塊が胸元を通り抜けたように、冷気が身体の内側にわだかまって、体温が急激に奪われていくようだった。

「ほう。珍しい形だ──非常に興味深い」

トートが漏らした感嘆の声に促されるように顔を上げれば、彼が掲げる鉄の天秤の片側に、黄色い紡錘形の果物が載せられていた。うちの庭の檸檬によく似ている──丁度、今頃は収穫の時期だから、冬の寒々とした庭で緑の葉をつけ、ビビッド・イエローの果実を実らせているだろう。そういえば、あれを一口齧った時のシトロンの顔は傑作だった。アンドロイドに感情はない、だとか、表情はない、という当初のイメージを一気に覆した事件だったのだ、あれは。

「ハーメドだ」
「うむ、ハーメドだろう。ああ、君にはこの言葉の方が馴染みがあるかね──リモン、あるいはシトロンか」
「私、これでも考古学者なのよ?馬鹿にしないで。古代アラビア語くらいわかるわよ」
「それは失礼した。しかし──アンドロイドのコアはすべて同じだが、人間の心臓は色々な形をしている。むろん、臓器の形は皆似通っているがね。人間の魂は、アンドロイドのそれよりはるかに複雑だということなのだろうね」
「アンドロイドの魂は皆同じ形だと?」
「意識レベルの深さの問題だろう。人工物である彼等は、まだ人間の生み出した”魂”や"意識"という枠から出ていないんだ。だから真理の天秤に載せる時、コアのまま出てくる。もっと彼らが進化したら──その時は君らと同様に、様々なカタチの心臓が拝めるのかもしれない」
「いい趣味してるのね、トートって」
「ふん。今も昔も、ブリテン島に縁ある人間は皮肉が多い。さて、雑談はここまでだ。マアトの羽を載せ、イエロウ・スミス──君の生前の罪の重さを計ろう」

トートが左手を空に掲げる。その掌の上に、青い羽がふわりと出現した。
羽軸の部分が金色で、なめらかな羽弁部分は海のように深い青色をしている。

「それがマアトの羽?」
「そうだ。真理の女神マアトの頭飾りに使われている羽だ」

アヌビスが厳かにそう答える。トートが左手を動かし、天秤の片側に羽を置いた。
瞬間、天秤がゆっくりと傾きはじめる────檸檬か、真理の羽か。檸檬が羽よりも重ければ、私は転生する権利を奪われ、混沌の底へと飲み込まれるのだろう。しかし、罪を犯さなかった人間など、果たして存在するのだろうか──生物の命を奪い、嘘をつき、他者を傷つけて生きる醜い生き物──それが人間ではないか。アンドロイドという人型の機械を生み出したことも、かつて古代の神が自らの姿に似せて粘土から人間を生み出したように、自分たちの姿を模した”代替物”を造りたかったからではないか──自分達ができないこと、やりたくないことを押し付けるために。

鉄の天秤は、しばらく間をおいて、檸檬を載せた方の皿を大きく傾げた。

海面すれすれまで落ちた皿の上の檸檬が、青に映えて哀しげな風合いを醸し出す。かつて人気を博した画家も好んでいた、ブルーとレモン・イエロー、その先に突き立つ電柱のグレー。この世界は、あの薄汚れたシェルター<ブリテン島>より、遥かに美しい。視界を濡らす放射線を含んだ霧も、有毒の煙も、機械屑と臓物と孤児であふれたスラムもない。色彩に溢れた美しい場所だ。
こんな場所を死に場所にできるなら、むしろ本望ではないか──。

「興味深い人間だったが、決まりは決まりだ。さて──」
「待って。トート、奈落に堕とす前に教えて。これまでに罪のない人間なんて居たことがあった?」
「ふむ。その質問くらいは答えてもいいだろう。答えは"ノー"だ。人間は、自我を持つ頃には多かれ少なかれ罪を背負っているのでね」

それじゃ、とトートが片手をあげて合図をする。のっそりと近づいてきたアヌビスが、私の首の付け根のあたりをつかんだ。抵抗らしい抵抗をすることもなく、手すりの向こうへと突き落とされた私は、胃のあたりがひっくり返る嫌な感覚と、頬をたたく風を感じながら、なかなか辿り着かない海面へ向かって、"ウサギ穴を落ちるアリス"のように落下していった──。

 


2. それは脳内で檸檬を爆発させるくらいに、容易いこと


「マスター、起きてください。起床予定時刻を8分もオーバーしています」

肩をいささか乱暴に揺すぶられ、イエロウはうっすらと目を開けた。ひどい夢を見たせいで、今も胸の奥や胃のあたりがむかむかする。それにしても妙にリアリティのある夢だった。本当に自分が死後の世界にいたようで、まだ現実に戻ってこれていないような気さえする。
「顔色が冴えませんね。どこか体に不具合でも?」
「ううん──大丈夫。ねえ、シトロン。変なことを聞くけど、アンドロイドって夢を見ることある?」
「夢、ですか?眠っている間に神経細胞が見せる記憶の断片と言う意味のそれでしたら、データ更新中にそういった事象が起きること自体が何らかのバグかと思いますので、まず在り得ませんね」
「そう。夢のない答えをどうもありがと。じゃあ、念のため聞かせて──今日は何日?」

黒いワンピースに白いエプロンを掛けた家庭用アンドロイド、HKP型X0012号──セットアップ時に登録した呼び名は"シトロン"。彼女の動力部<コア>に使用されている帯電檸檬水晶<シトロン・クォーツ>にちなんで、その名前をつけたのが16年前のこと。少女だったイエロウ自身の肉体は成熟した大人の女性のものとなったが、彼女は16年前から何も変わっていない。整った顔立ちも、顎のあたりで切りそろえられたプラチナ色の人口頭髪も、コア部分の反射で薄黄緑に見える瞳も。彼女は面倒くさそうにため息を吐き、そして機械的に答えた。

「西暦5046年2月17日です。今年は女王陛下の治世が始まって350年目の記念すべき年、また新人類の時代の幕開けとなった第5次世界大戦の終結より──」
「あー!もう結構。いいわ、現実に戻ってきたって感じ!夢の中じゃ、世界はとても幻想的な色彩だったし、久々にちゃんと青い海が見られたってのに、ここは夢がないったら」
「お言葉ですがマスター、ここは現実ですので。トンチキな仮想世界と一緒になさらないでください」

冷たくそう答えた彼女とのやり取りも、長い間生活を共にしてきた信頼関係あってのことだ。
ふと、あの奇妙な夢の中で出会った剥き出しのスキンのアンドロイド達──動力部<コア>のエネルギー体を露出させ、虚無をうつしたガラス玉のような目で、ただ審判の順番を待つばかりだった彼等のことが脳裏をよぎり、イエロウは眉をひそめた。
目の前にいるこのシトロンも、衣服を取り払ってしまえば、あんな風に──人間とはかけ離れた存在に、同じ型の心臓で動くばかりの人形に、なってしまうのだろうか。

「……マスター、どうされたのです?嫌な夢でも見たのですか」
「うん──まあ、そんなとこ」
「気休めになるかはわかりませんが、その夢の内容を是非共有してください。人間のみる”夢”というものについて、私<シトロン>も興味があります」

人間に比べて表情のバリエーションは乏しいが、彼女が"心配"していることは何となく伝わってきた。これも長年の経験がなせる技である。

「でも私、脳を機械化してないから、記憶映像のデータ共有は無理なんだけど…」
「そんな事、この私<シトロン>が知らないとでも?非常に前時代的な方法ではありますが、言葉による共有が妥当でしょう」
「ふふ、そうだね。じゃあちょっと長くなるけど、聞いてくれる──」

イエロウが淡々と話した奇妙な夢の話を、シトロンは神妙な面持ちで聞いていた。
質問もせず、たまに相槌を打つ程度で最後まで聞いてしまったシトロンは、話が終わるやいなや、不思議そうに首を傾げた。

「何故、マスターの心臓は檸檬だったんでしょうか」
「へ?」
「私のコアは檸檬水晶です。例えば私がその夢の中で、古代エジプトの死者の審判めいたその儀式に巻き込まれた際に取り出された心臓が檸檬だったとしたら、なんとなくわかる気がします。でもマスター、貴女の心臓は動く肉の塊でしょう?不思議だと思いませんか」
「そ、そういわれてみれば、確かにそうかも……」
「マスターの話を聞きながら、データベースで”檸檬”に関係する文学を検索してみました。数千件以上がヒットしましたが、面白いものが──20世紀の東洋の小国で活躍した作家の作品に、『積み上げた画集の上に乗せた檸檬が爆発する妄想』をした男の物語があります。一介の果物を爆弾に喩える人間の発想力の奥深さ──私<シトロン>にはまるで理解が及びません。マスターの夢もそれと同じ。とても興味深い感覚です」

そう語るシトロンの瞳は、いつになく輝いているように見えた。
あの夢の中のアンドロイド達と違う──非常に、人間的で知性を持った輝き。彼女の動力部で仄かに輝いている薄黄緑色の輝きである。

「ねえ、シトロン。人間になりたいって、思ったことある?」

それは、一線を超える質問だった。
人間の義体化、あるいはアンドロイドの意識の発達によって──両者の境界は次第に曖昧になりつつある。それを問題視し、反アンドロイド運動を開始した者たちは年々数を増やし、ついにアンドロイドの暴力的破壊という犯罪行為をおこすまでになった。シェルター<ブリテン島>という小さな世界に閉じ込められ、監視と管理が行き届いたこの歪んだ社会に対する不満の捌け口にしているのだろう、と当初は思っていたが、意識を持つアンドロイドが「殺された」ことに対し罪を問うという行為が当たり前のように社会に浸透していったことに対し、内心驚いてもいたイエロウだった。

アンドロイドにも「人権」がある時代──ここはもう、そんな世界になったのだ。

シトロンは暫し逡巡した後、注意深く口を開いた。
「その質問には──申し訳ありません。倫理規約上お答えできかねます。ただ、マスター。私<シトロン>は人間の持つ色彩にジェラシーに似た感情を抱く時があります」
「私達がもつ、色?」
「そうです。我々アンドロイドは、同じ型の義体<ボディ>と同じ衣装、同じ顔<フェイス>なのです。また、なるべく感情を表に出さない事、コントロールする事を自らに強いています。人間がそれぞれ違う色彩の肌、髪、瞳を持ち、個体毎に異なる骨格や顔を持つこと──そして自由に感情を外に出せること──いえ、すみません。これ以上は規約違反ですね」
「ううん、ごめん。私が変なこと聞いちゃったから──ねえ、だけど。シトロンのささやかなお願いくらいは聞いてあげられるかもしれないわよ」

注意深く、慎重に、それでも感情を少しだけ露わにしてくれたシトロンに、してあげられることがあるとすれば、それは。

「どういう意味です。私<シトロン>には願い事なんて……」
「貴女を人間の女の子みたいに飾ってあげることなら、私にもできるわ。これは命令よ、シトロン。ワードローブを開けて、それから今の服を全部脱いで」

───母が遺したレモン・イエローのスカートに、ノースリーブのブラウス。
サイズの合う靴はなかったので、彼女の作業用の黒ハイヒールになってしまったが、人間の女性の服装をしたシトロンは、とても美しかった。身長が高く、すらりとした型のシトロンは、どんな服でも着こなすことができたし、貰い物の派手な色合いの口紅やアイシャドウは、彼女の顔立ちによく映えた。

「ほら見て、シトロン。貴女にはレモン・イエローがよく似合う」
「そうでしょうか。やはり、私<シトロン>はマスターのようには着こなせないと──」
「何言ってるの。ほら、ちょっとこっち向いて」

訝し気にこちらを向いたシトロンの首元に、お気に入りの香水を振りかける。
空気の淀んだこのシェルター<ブリテン島>において、香水を纏うことは必須なのだ。下水やガスの匂いを誤魔化すためにも、そして「人間である」ことを主張するためにも。

「シトロン、貴女にこの香水をあげるわ。いつかアンドロイドと人間が完全に共生できる時代がきたら──貴女もこれを身に着ければいい。少なくとも、貴女は私よりもっと長生きするでしょうし──私より、この香りが似合うもの」

夏の庭先の檸檬の木に生る、緑色の果実のように、仄かな酸味とさわやかさを感じさせるナンバー──『シトロニア』。女王陛下御用達の香水メゾンの中では格安だが、それでもイエロウはその香りが好きだった。四角く区切られた狭い庭に檸檬を植えたのも、帯電檸檬水晶をコアに持つ時代遅れのアンドロイドを選んだのも、夢の中で取り出された心臓が檸檬だったのもすべて──イエロウ自身が無意識に好んでいたからなのかもしれない。母が好きだった、檸檬を。

「それが命令なら、マスター」

そう言ったシトロンの口元には、控えめながら微笑が浮かんでいた。
────非常に人間的で、自然な微笑みが。


end.