プロット交換小説作品①
キコニアシステム
あおと
お借りしたプロット「S」
※プロットを交換して小説を書きあう、という企画において書いたものです。
素敵なプロット有難うございます。
「いつもいつも、さみしい給料で悪いな」
大学の研究室からの帰り道、白衣姿の女性の隣に立って、リノリウム製の廊下を三上省吾は歩いた。一年前までは何度も歩いていた通路だった。
「全然かまわないっすよ」
「交通費くらいは出してあげたいのだけれど、予算も限られているんだ」
「秋川先生も厳しい中やりくりしてるんっすね」
「研究費も削減、削減の時代だからね。省吾君は文句言わずにいつも引き受けてくれるから、私は心苦しいぞ。今日は難しいけれど、食事くらいなら喜んで奢らせてもらうから、今度連絡しよう」
「気を使わないで下さい。俺のほうこそ、無理言って参加させてもらっているんですから」
大学卒業後、定職につくこともできなかった省吾はアルバイトをして生活費を貯めながら、治験やモニタリングに参加して小遣いを稼いでいた。学生時代の教授から新薬の治験の誘いのメールが届いたとき、迷わずに飛びついた。
「生活は順調か?」
「全然ダメですよ」
省吾はおどけて首を振って見せた。
「彼女も?」
「自負できるくらいに、まったくいません」
秋川教授はありゃーなんて口にしながら、笑って省吾にアドバイスなどをしてくれた。
「厳しいっすね。俺、今、自分の生活費稼ぐのもひと苦労で、彼女できてもお金がないっすから」
「お金だけがすべてではないと思うけれど。まったくないのは辛いよな。話は変わるが、無料登録するだけで簡単にお金がもらえるって制度があるのだけれど、話聞いてみるか?」
「なんですかそれ。古き良き時代の詐欺ですか?」
「怪しいものじゃないさ。そうだな、モニタリングに近いかな。省吾君、治験終わったら、他に稼ぐあてもないのだろう?」
図星をついてくる秋川教授の発言に、省吾はぐっと息を飲み込んだ。
「無料より怖いものはないとはいうけれど、話を聞いてみるだけのことはお勧めするよ。何がきっかけになるのかは誰にもわからないものだから」
「わかりました。秋川教授の勧めなら断るわけにいきません」
「それは私を買いすぎだぞ。ああ、それ、キコニアシステムっていうのだ。今週の日曜午後、町の勤労者会館で説明会が開催される予定だから、暇があったら行ってみな」
省吾はさよならをいって、大学を後にした。
日曜日はちょうどバイトも休みだった。話を聞くだけなら。省吾は勤労者会館に向かった。会場となっているフロアには『キコニアシステム』という垂れ幕があった。企画は総務省となっている。国の事業なら怪しいものでもないだろう。
会場には二十名ほどの参加者が席についていた。どの人も若い人が多かった。
「もしかして治験にこられていませんでした?」
不意に声をかけられた。メガネをかけた女性だった。ふんわりエアリー感のある前髪がとてもよく似合っていた。
「秋川先生の?」
「そうですそうです」
「それじゃあ、この話ももしかして」
「たぶんそうです」
含み笑いで彼女は応えた。
秋川教授は割合大勢の人に声をかけていたのかもしれない。
「私、新川といいます」
「俺は三上といいます。よろしく」
係員が会場でキコニアシステムについての説明を始めた。
「まず、皆様方には簡単なアンケートに答えて頂いています」
省吾はアンケートを記入した。名前や年齢、アレルギーや疾患があるか、などの簡単なものだった。その間、一人ずつ、奥の部屋に連れて行かれた。部屋から戻ってきた人々はその場で解散していった。
新川の後が省吾の順番だった。
「皆様方には体内埋め込み型のマイクロチップの使用についてモニタリングをお願いしております。簡単な手術が必要となりますので、承諾しかねる方はここでお帰りください」
係員の説明では個人情報をネットワークに登録し、識別用のマイクロチップを胸部に埋め込むことで幇助金が出るというものだった。登録することで、行政サービスや本人確認などの手続きが簡略化できるらしい。完全マイナンバー制度に向けた試験的なものであるという。ゆくゆくは、マイクロチップが自動的に体内のデータをとって体調管理を促すなど、サービスの幅を広げていきたい、と係員は弁を奮った。省吾は承諾し、キコニアシステムを受けることにした。
指定された病院に向かうと、胸にマイクロチップが設置され、識別番号(JD0426)が与えられた。
「三上さんお疲れ様です。これにてキコニアシステムへの完全な登録がなされました。後ほど幇助金を口座の方に振り込ませていただきます。ご使用に関しまして不具合など何かありましたなら、いつでもこちらの病院をご利用ください。また、ご使用の事後観察といたしまして、キコニアシステム参加者様を募った親睦会を開催する予定です。日程を記した書面は後日改めて郵送させていただきますので、またご確認ください」
振り込まれた幇助金は思ったよりも莫大な金額だった。
1週間後に送られてきた葉書に親睦会の日程が記されていた。省吾は親睦会に参加した。
親睦会には説明会で話しかけてきてくれた新川の姿は見当たらなかった。彼女は参加しなかったのかもしれない。
親睦会は和やかなムードで進んだ。
その中の希という名の女性といい関係になり、交際を始めることになった。
「あなたと出会ったのはキコニアシステムのおかげね」
「俺もそう思うよ」
彼女は識別番号(JD0017)を名乗った。
交際は順調に進んだ。省吾は振り込まれた幇助金で一軒屋に引越すと、ほどなく彼女と同棲を始めることになった。
なにがきっかけになるかわからない。秋川教授の言った通りだった。
キコニアシステムに参加したことがきっかけで、省吾の人生は上向きになっていた。順風満帆だった。
省吾は秋川教授にお礼を言うため、大学に向かった。
新川と出会ったのは大学の駐車場だった。
「久しぶりですね」
「お久しぶりです」
新川は後ろ髪をストレートに伸ばし、リボンで結んでいた。それは彼女のワンピースとよく似合っていた。まぶたに光るラメは程よく自然で、彼女の魅力をいっそう引き上げているように見えた。省吾は新川に惹かれずにはいられなかった。
秋川教授は不在だった。帰りに寄った喫茶店で省吾は新川と意気投合をした。
希との相性も悪くはなかったけれど、新川といると省吾はより幸せな気分でいられるのだった。
飲み終えたコーヒーを新川が片付けた。
彼女が省吾の分のカップをとろうと手を伸ばしたとき、ワンピースの隙間から胸の谷間が見えた。そこにはマイクロチップを埋め込んだときにできる薄い手術痕を見ることができた。
新川は胸に手をあて、
「これ、夏はちょっと恥ずかしいかもね」
などと思い出したように言った。
「それじゃあ、新川さんもキコニアシステムを受けていたんですね」
「親睦会に三上さんがいらっしゃらなかったから、てっきり辞退されていたのかとばかり」
「俺も同じことを思っていましたよ」
「今日三上さんと出会えたのは、なんだか普通の偶然ではないみたいです」
「まるで奇跡みたいですね」
「秋川先生にも感謝しないと」
「ですね」
省吾は希と別れて新川と交際したいと考えをまとめ始めていた。
結局、希とは半ば強制的に追い出す形で別れることになってしまった。心苦しくはあったけれど、新川との初デートがとても楽しいものになって、後悔する気持ちは失せていた。
新川は省吾より一つ年上で、省吾の手の届かないかゆいところを補ってくれる。
二人とも秋川ゼミに所属していたことがあるということで、話題も合うので話が弾んだ。
「由梨奈」
下の名前を呼ぶと赤い顔で笑顔になるので、省吾は面白がって連呼した。
帰宅すると、その幸福な気分はまっさかさまに墜落していった。玄関のドアに「警告」の紙が貼られていたのだった。
省吾は怒りながらその紙を引きちぎった。
省吾ははじめ、希の嫌がらせだとばかり考えていた。一方的に追い出したのが彼女に未練を残してしまったのだと。
嫌がらせは省吾が新川とデートを重ねるたびに続くのだった。
あるときには「彼女から離れるように」と匿名の警告書が届いた。あるときには二人でいる姿の写真が送られてきた。無言電話も毎日のように鳴った。
それでも省吾に対する嫌がらせだけならば無視を決め込めばよかった。新川の元にも同じような嫌がらせが続いている、と聞いたときに省吾は我慢がならなくなった。
「文句を言ってやる」
「誰に? 相手がわからないのに」
「相手はわかっているんだ。絶対に希だ」
「本当に希さんなの? 私にはどうもそうとは思えない気がするのだけれど」
「どうして?」
「私も目を光らせたけれど、省吾と一緒にいるとき、彼女の姿を見かけたことがないよ」
「会ったことないだろう?」
「でも違うと思う」
秋川教授から食事の誘いの連絡を受けたのは次の日のことだった。
指定されたのは「ストウブ」というレストランだった。ココットの鍋を利用した料理を売りにしていた。秋川教授は牛タンのシチュー、省吾はキャベツのクリームパスタのコースを頼んだ。注文した料理が届いてから、省吾はタンシチューにしておけばよかったと後悔した。秋川教授は赤ワインを手に、口いっぱいにタンを頬張った。呼び出したのは、秋川教授が単にタンを食べたかっただけだろ。そう思わずにはいられなかった。
「省吾君、奢る約束が遅くなってしまったね。どうだ、元気だったか?」
「おかげさまです。あれから、先生に紹介して頂いたとおりにしてみたんっすよ。キコニアシステムに登録して、人生が変わりました。ありがとうございます」
省吾は少し照れたように、胸の辺りの手術痕に手を置いた。
「それはよかったな。しかし、それにしては浮かない顔だぞ」
「わかっちゃうものっすか」
と、苦笑しながら、省吾は事情を話した。
「由梨奈君とは別れた方がいい」
秋川教授の言葉に省吾は耳を疑った。
「どうしてですか」
秋川教授は口を閉ざしただけだった。
帰り道、省吾はキコニアシステムをネットで検索してみた。
勤労者会館のフロアの垂れ幕で見た「総務省」という名前が引っかかっていた。検索してもそれらしい情報は出てこなかった。
キコニアは「こうのとり」という意味であるということだけわかった。
途中、待ち合わせをしていた新川と合流し、もう一軒店に入った。
新川におかしなことがなかったか、と尋ねても、キコニアシステムにおいて、省吾が受けたものと特別変わった手順はなかったようだった。ただ、親睦会が一緒に執り行われなかっただけである。
「秋川先生のことが何かひっかかるんだよな」
「省吾一人で秋川先生と会ってきたんだ。ずるい」
「悪かったよ。二人で行けばよかったな」
「子供っていっても、参加者の人で妊婦の方はいなかったぞ」
「ましてや、既婚の人もいなかったわ」
「そういえば、俺の親睦会でも独身ばかりだった」
「若い人が多かったっていうのも関係があるのかな」
省吾はキコニアシステムの資料を思い出そうと試みた。何か見落としていることがないのか、と。新川に頼み、新川の個人情報が記載されたキコニアシステムの登録カードを見せてもらった。
「由梨奈の登録番号はなんだっけ?」
「識別番号JA0384だけれど、それが何か?」
「俺はJDだけれど、由梨奈はJAなんだなって。何か関係があるのかと」
「識別番号に違いがあるなんて気づかなかった。私の親睦会ではみんなJAだったから」
「そうなのか」
省吾は同じ親睦会だった男に連絡をしてみた。希に連絡するのをやめたのはきまずかったからだった。
話を聞いてみると興味深いことが次々とわかった。
省吾の親睦会に来ていた人々の識別番号は皆JDだった。
そして、その男も親睦会に参加していたJDの識別番号を持つ女性と同棲を始めたとだという。
帰宅すると、省吾の家は半壊状態になっていた。
窓が壊され、玄関のドアが破られている。新調したソファは切り裂かれ、家電は叩きつけられて使い物にならなくなっていた。
希の行為にしては度が過ぎていた。彼女一人の手でできることではない。何か、別の大きな意思がその破壊の中にこめられているようだった。
省吾はもう一度秋川教授に会って話をしてみることにした。
秋川教授はキコニアシステムについての真相を語ってくれたのだった。
「キコニアシステムはもともと人間を効率よく繁殖させるための制度として整備された。
今、少子高齢化が深刻な問題になっているだろう?
マイクロチップを埋める手術を行った際、省吾君たちの細胞組織も採取しているはずだ。その細胞を検査し、遺伝情報を調査する。調査された遺伝情報は科学的に相性のいい遺伝情報を持つ相手と一緒のグループに分類されることになる。逢瀬をするなら遺伝情報のいい相手同士でやるほうが、生まれてくる子供にとっても、当人たちの結婚生活をうまくいかせる、という点においても都合がよかったってことさ。つまるところ、省吾君の遺伝情報は希さんと相性がよく、由梨奈君とはそれほど相性がよくなかったというわけだ。
親睦会と銘打ち、相性のいい遺伝情報のグループを一堂に集合させることで、自然な形として交際できるきっかけを作るよう取り計らっていた、ともいえる。省吾君たちの間に嫌がらせが続いたのもそういう理由からだろうな。遺伝情報の相性が悪い者は無理やりにでも隔離されてしまう」
「そんなのプライバシーの侵害です」
「省吾君たちはキコニアシステムに登録する際、それに応じたはずだ」
確かに省吾は個人情報をネットワークに繋げることを認めていた。
個人情報をネットワークに繋げ、胸に埋め込まれたマイクロチップから情報を受信する。
これによって人間ひとりの動きを追いやすく、統制しやすくなる。
「ただより怖いものはないってやつですね」
「マイクロチップを埋め込むだとか、家を半壊させるまで妨害するだなんて思いもよらなかった。省吾君には悪いことをしてしまったようだ」
省吾は言葉が出なかった。
秋川教授を責めてもどうにもならないことは明白だった。
「それで、由梨奈君とはどうするつもりだ?」
「彼女と話し合って決めたいと思います。また、一方的に別れるのは嫌ですから」
「そうか」
「キコニアシステムは繁殖を促すための制度ではありませんよ。科学信仰に基づき、国が婚姻を強いているだけです。不具合として報告することにします」
省吾は新川と話し合いをするため彼女の家へと向かったのだった。
19:00 2015/08/22