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アプリnovelnove交流による企画。

プロット交換小説作品③

「 、 、 、 、 。」

のんのん

お借りしたプロット…プロットD

 

『それ』は、シャボン玉がはじけるように世界から姿を消した。何人か『それ』を口に出そうとした者が違和感を覚えたかもしれないが、シャボン玉がはじける音があまりにも小さいように、その存在が消えたことに気づいたものは多くはなかった。『それ』が消えたことを確信していたのは、シャボン玉に触れた、ただその本人だけだろう。

 

 

病室の壁に紛れてしまいそうなほど白く、筋肉が落ちて細くなった手がこちらへ伸ばされ、頬を伝う温かいものを拭ってそのまま頭を撫でた。髪の毛と同じ色の朽葉色の瞳がいとおしそうにこちらをとらえる。

 『志信』

 呼びかけられているのに、胸や、喉や声を出すのに必要なところから別のものがせり上がってきて、うまく応えることができない。乱視矯正用の丸眼鏡に水が滴り落ち、世界が歪んでゆく。

 『志信』

 噛みしめるように何度となく呼ばれた名前。

 『お母さん、死んじゃやだ』

やっとその言葉を発する。嗚咽交じりで、もしかしたらそう相手には聞こえていないかもしれないけれど。

 『志信、あなた、今まで…』

 うす藤色の唇が、微笑みとともにゆっくりと動く。歯が見えるほど大きな形、横に広げられ、最後に小さな形になると、そのまま閉じられてしまった。まるでスローモーションのようにはっきりと動くのだが、それに音は伴っていなかった。

 

 

 幾度となく寝ている志信の脳内に侵入し、起きていても鮮明に描けるようになってしまった夢を思い出し、志信は帰りの電車でため息をついた。外は既に夜の帳が下り、鏡となった窓ガラスにこちらの世界が映り込んでいる。昔から変わらぬ乱視矯正用の丸眼鏡に幼いころの自分が重なる。

 ―母さん、あの時俺に何と伝えようとしていたの。

 カメラでフォーカスしたように、はっきりと思い浮かべられる母の動く口元、夢の中ではそれに音は伴っていなかった。何度となく眠りに落ちた後に繰り返されるそのシーンが志信を困らせていた。声を振り絞る力もなく、昔もそれは音にならなかったのだと思い込めば解決するはずなのだが、聞いたような気がするうえに、とても大切なことだった気がするのだ。忘れてはいけなかったこと。だが、それは、まったくもって知らない異国の言葉で「おはよう」は何と言うのか聞かれても答えられないように、思い出せる気配すらないのである。

 そこで、志信は大学の夏休みを利用して、母の生家、叔父の家、自身の実家などを旅行がてら訪ねていたのだが、特に手掛かりになるようなものは見つからなかった。同じ言葉を託されたはずの肝心の父親も、「母さんは最期に、いつでも二人の幸せを願ってるということを僕に伝えてくれたよ」と言って、悲しそうな笑顔をこちらへ向けるだけだった。

 通路を挟んだ隣に座る家族連れの話し声に、現実へと引き戻される。あと目的地に着くのかが気が気ではないようだ。別に母が恋しくて泣くような年でもなくなった。自分は自分、他は他、と割り切って考えられるようにもなり、幸せそうな一家の姿に思わず口元がほころんだ。そのとき、ふと視線を感じて双眸を動かすと、硝子上で少女と目が合った。斜め向かいに座る少女である。身体に不釣合いなほど大きなナップザックを背負っており、ふわふわと肩あたりで跳ねる明るい色の髪の毛が印象的な少女だった。ナップザックを網棚に上げられず困っており、志信が手伝いを名乗り出たからよく覚えている。そのまま志信が彼女に微笑みかけると、嬉しそうに花が咲いたような笑みを返してくれた。笑うと一層幼さが増す子だが、一人でどこまで行くのだろう、駅まで知り合いが迎えに来てくれるといいのだが…なんだか、最近人々の様子がおかしいのである。どことなく暗い感じがし、志信自身も気持ちが晴れない。路上でけんかしている人を見たのも、旅先で一度や二度ではなかった。血の気が多い地域なのかと納得させようとしたこともあったが、実家へ帰っても違和感は拭えなかった。天真爛漫そうなこの子が、変なことに巻き込まれなきゃいいけど、と志信はきょろきょろと楽しげに座る彼女の像を見つめた。

 

 『お下りの際は、お忘れ物の無いようお気をつけてお帰りくださいませ』

 目的地がアナウンスされ、志信は読んでいた本を閉じ、鞄に押し込んだ。往路より荷物が多くなるのは、『親戚の家訪ねたあるある』だろう。斜め向かいの少女も運転手が次の駅を告げてから、もぞもぞとしている。

 「お兄ちゃん次で下りるから、鞄、網棚から下ろしておこうか?」

 そう尋ねると彼女は、雲から覗いた太陽のように、ぱっと笑顔になって「お願いします」と大きく首を縦に振った。

 電車が枕木に乗り上げて大きく揺れた後、目的の駅に着いた。右側の扉が開き、終点でもない駅にぱらぱらと人がはき出されてゆく。斜め脱下位の彼女も、数少ない下車客の一人だった。改札に切符を通すと志信の前に彼女がいたのだが、半袖、半ズボンから伸びる足はあまりにも頼りなさげで、白いTシャツは、熱帯夜の鉄紺に飲み込まれてしまいそうだった。

 「ねえ、お迎えの人は来るの?ここらへん、街灯が少なくて危ないから、駅舎の明るい所にいたほうがいい」

 志信は思わず声を掛けてしまっていた。ぽかんとこちらを見つめる彼女の瞳は、びいどろ玉のように淀みなく透き通っていた。

 「ううん、だれも来ない。わたし、家出の真っ最中だもん」

 帰りなさい、危ないよ、家出なんてやめときなさい、そう志信が言おうとする前に彼女は畳み掛けた。

 「ねえ、お兄ちゃんのお家に泊めて。わたし、どこも行くとこない」

 「駄目!ちゃんとお家に帰らないと、ご家族が心配してるよ」

 「お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、家出してるの知ってるよ。強くなって帰って来なさい、って言ってた」

 「わかった…一緒に交番に行こう」

 いやっ、と彼女はむくれて、志信は腕を掴んで引っ張っていこうとするが、梃子でも動かない。

 「これ以上、交番に行こうとしたら、誘拐だーって叫ぶんだから」

 この年で事情聴取もかなわないので、志信は手を離した。既に怪しい絵面となり、何人かの人が不躾な視線をこちらに浴びせている。

 「とりあえず、知らない人の家へ泊まるなんて駄目だ。お友達の家にでも電話しなさい」

 後味の悪さを感じながら、志信は下宿先へと歩を進める。何も介さないまっすぐな彼女の視線が背中に注がれているのが何となくわかった。

 冷たく突き放そうと、志信は元来困っている人を放っておけない性格だったし、一度彼女に声を掛けてから責任感というものを感じていた。そんなようなものたちに後ろ髪を引かれ、十五メートルほど歩いたところで、振り返ってみると中年くらいの男性が彼女と話をしている。その手には、財布が握られていた。

 考えるより先に動いた志信は、駅舎へとUターンして、彼女の頭に手のひらを載せ、無理やり頭を下げさせた。

 「うちの妹が、すみませんっ!こいつ、俺とけんかしたら自棄になる変な癖があるんです。すみません」

 男が追ってこないように必死で足を前へ出す志信と、まるで映画のヒロインにでもなったかのように事態を楽しむ少女を、水銀灯がところどころで照らし出していた。

 

 

 「夜も更けたし、さっきみたいに危ない人もうろうろしているから、今日だけは泊めるけど、明日にはご家族に電話して帰ること」

 志信は真面目な顔をさらに真面目にしてみるが、少女は全く動じない。それどころか、志信の部屋にある本棚を目ざとく見つけて、心ここに非ずという態度であった。

 「聞いているのか。え、と…」

 電車内からの付き合いだったので、ずいぶん長く共にいた気がするが、彼女のことは名前すら知らなかった。志信は手近にあった紙とボールペンを引き寄せて『渡辺志信』と書いた。

 「俺は、シノブ。ワタナベシノブだ。大学生だけど、今は夏季休業中なんだ。君は?」

志信は手近にあった紙とボールペンを引き寄せて『渡辺志信』と書いた。

 「よろしく、志信。わたしは、ウト。アリガウト」

 彼女は、志信の名前の横に『有賀于都』と漢字で書いて、さらに何を思ったのか、ハートマークに三角形、縦線を一本引いて相合傘を付け足した。

 「ねえ、志信。『カキキュウギョウチュウ』って何?何かの虫?蟯虫検査ってあるものね。志信、大変なの?」

 于都は先ほどまでむくれていたはずなのに、いつの間にかロケット鉛筆のように立て続けに質問を重ね始めた。

 「『夏季休業中』というのは、夏休み中ということだよ。俺はそんな変な虫を体に寄生させているわけじゃない。漢字は…」

 先ほどの相合傘の隣に、『夏季休業中』と書こうと手を伸ばすと、于都にそれをかっさらわれてしまった。

 「待って、わたしのノートに書いて」

 後ろを向いてごそごそと彼女は、大きすぎるナップザックを漁ると、中から手のひらサイズの小さなノートが出てきた。緑青色できちんと製本された、なかなか高級そうなものである。彼女はぱらぱらとページを捲り、空白の紙を出してきたのだが、それまでのページには、文字がびっしりと肩を寄せ合っているのが見えた。

 「わたしね、言葉が大好きなの。夏休みのことを夏季休業中って言うと、なんだか大人っぽくてかっこよくなるのね」

 夏季休業中、とボールペンを滑らせる志信の手元を覗きこんで、于都はうっとりと言った。その後、于都がナップザックの中身を広げると出てきたのは、類語辞典、国語辞典、オノマトペ辞典、色名百科など、言葉がたくさん載っているような本だったため、志信は何故あんなに重かったのか心の中で一人頷いていた。

 次の日の朝、志信は人の声で目を覚ました。隣に女の子が座っていることに一瞬ぎょっとしたが、すぐに昨日の晩のことを思い出し、再び枕に頭をうずめた。

 「志信!わたし、ここにいていいって。電話代わって。お父さんだから」

 寝ぼけた頭で、何故父が…と思い電話に出ると、それは自身の父親ではなく于都の父だった。要約すると、娘をよろしくお願いします、というのと、今日中に于都の持っている通帳口座に五万円ほど振り込むから、それを使ってくださいという旨だった。

 「志信、ちゃんと電話したからね。保護者公認だもん、よろしくね」

 夏の朝日に負けないくらいまぶしい笑顔を向ける于都の手を、志信は取るしかなかった。

 

 

 于都が志信の家に居候するようになってから、二週間が経とうとしていた。初めはどう接してよいかわからず狼狽えていた志信だったが、于都といて退屈することはなかった。まず、こちらが黙っていても質問と報告が多い。

 「志信、『逆鱗に触れる』って何?」

 「志信、『天狼』って何?神さまのところにオオカミがいるの?」

「志信、雲の名前だけでもこんなにあるの。積乱雲に、入道雲に、うろこ雲に…」

「志信、樺色って知ってる?桜の樹皮の色なんだって。すごいよね、桜って花も、皮も色の名前になってるんだよ」

必ず、それらの前には『志信』がついて、新雪に太陽が当たったように瞳孔を煌めかせ、嬉々として語るのである。それに、言葉が好きだから、志信の本棚にある本を片っ端から読んでいき、その感想を、これもまた興奮気味に話してくれるのである。志信の何気ない日常は、色を増していった。それと、もう一つだけ、あの夢を見なくなったのである。ただ、于都に振り回されて思い出す暇がなかったというのもあるかもしれないが、志信は母の遺した言葉に眉間皺を寄せることはなくなった。志信だけでなく、于都にとっても実りある日々で、彼女のノートは志信の家に居候するようになってから、二冊増えた。

 

志信の部屋は日光が燦々と注ぎ込まれてくるため、夏休みも足しげく大学に通い図書室で勉強をしながら涼んでいる。もちろん、家に置いて、于都が熱中症にかかっても困るし、于都は図書館では決まりを守って静かにしているので、二人で大学に通うようになった。時々、部活やサークルで来ている同じ学部の生徒に会うのだが、従妹ということで通しているし、いつも一緒にいるからか覚えられるのも早かった。それは無論、図書館でも同じで、元から志信が図書館の常連ということもあったのだが、今では大学図書館の司書さん全員相手に于都は顔パスが通用する。

「いつも、どうもすみません」

「いえ、いいんですよ。どんどん図書館は活用してくださいね」

今日も、于都をすんなりと入れてもらって、志信は頭を下げる。

「志信、お礼なのに、どうして『すみません』って言うの?」

「うーん、相手に苦労を掛けてすみません、って先回りして謙遜しているんじゃないかな」

 そういった後で、志信の顔がふと翳った。

 「どうしてだろう。前は、もっともっとストレートにお礼の言葉を伝えられていた気がするんだけど…。なんか、こう、あと一歩曲がれば正しい道が見えてくるそんな感じがするんだけどな。俺の思い違いかもしれないけど…」

 珍しく于都が真剣な顔で志信を覗きこんでいた。

 「感謝の気持ちって、言葉だけじゃ駄目なんだと思う。それに心や、態度が合わさって、ようやく本来の意味を成すの。今の志信の、『すみません』は謝る言葉でもあるけど、態度とか、ちょっとした表情で、それは感謝の気持ちになってたよ。司書さんだって、笑っていたもの。だいぶ前とは、雰囲気変わったと思う」

 そうだった、于都が来た最初の頃は何となく、あの時感じた違和感がそこらじゅうに立ち込めていて、空気がぎくしゃくしていたんだっけ。それを、言葉以外のところで表すようになったら、まあるくなったよな。志信は、あの夜からの二週間を思い出していた。           いつだったか、言葉以外のところを変える、という提案をしてくれたのも于都だった。

 

 その日帰ると、窓を閉め忘れていたために風に揺られたカーテンが本棚の上のものを、床に落としてしまっていた。一階の部屋でなくてよかったが、先日、于都が「これ、色名辞典にあった!」と喜んで摘んできたツユクサを生けていた花瓶も倒れ、絨毯は水浸し、その上に舞い落ちた紙類のインクは滲んでいるという惨状だった。

 「ごめん、于都、ちょっと片付け手伝ってもらっていいかな。雑巾、今持ってくるから」

 生成りの絨毯が一部分だけ色付きになるかもな、と思いつつ、流しから雑巾を取ってくると、于都が志信の幼いころの家族写真をじっと見つめていた。

 「志信、この人誰?」

 于都が示していたのは、志信の亡き母だった。

 「ああ、母さんだよ。俺が小さいときに病気で亡くなったんだ。ずっと、母さんが遺した最期の言葉思い出せなくて、夢に何回も出てきて、困ってたんだけど、そういえば于都が来てからあの夢見なくなったな。母さんの口元が動いてるんだけど、声が聞こえないんだ。すごく大切なことだった気がするんだけど、思い出せなくて。ほら、于都と会った電車も、母さんのメッセージが残っていないか親戚の家を駆けずり回ってた帰りだったんだ」

 ほら、こういう言葉だったんだけど知らないかな、とでもいうように志信は夢を思い出して母の口の動きを真似て見せる。すると、いつも笑顔の于都の顔が氷像のように固まっていた。

 

 于都はご飯を食べてからも様子がおかしかった。いつもなら、その日図書館で見つけた言葉の話で、嫌になるくらい「志信」「志信」「志信」と聞かされるのだが…

 「于都、大丈夫?どこか具合悪い?」

 于都は唇をきゅっと噛みしめて、首をぶんぶんと横に振る。猫っ毛がふわふわとさらにあっちこっちへ跳ねる。

 「志信、ピリカの丘に行こう」

 ピリカの丘は、ここ近辺では山ほどではないにしろ高いところにある丘で、てっぺんも広いから流星群観察スポットとして有名なところだった。

 ピリカの丘までは、歩いて三十分程度。その間于都はずっと下を向いていて、一言もしゃべらなかった。丘に着くと、流星群の予定もないしそこにいるのは、志信と于都だけだった。

 「志信、ごめんね。ずっと言ってなかったことがあるの」

 そういうや否や、于都の身体は白銀に包まれ、元の明るさに戻った頃には志信の知らない女性がそこにいた。白檀色より白く透き通った肌、角度が変わるたびに色を変える孔雀羽色の白目がない瞳、朱色混じりの見事な菫色の髪の毛、そして、細く長めの首。

 「わたしの本当の名前はムラサキ。宇宙船の不備で地球に墜落して、人間の姿に化け、仲間の助けを待っていたの。地球に存在する『言葉』が大好きで、自分の星に持ち帰るはずだった」

 いつの間にか于都…ムラサキの腕には、あの肩が外れるほど重かったナップザックが抱かれている。

 「わたしたちの星の人は、言葉を実体化できるの」

 ムラサキは口元に手を広げ、ふうっと言葉を吐き出した。その手には、青のグラデーションに白い光が舞う球体が乗っていた。

 「これが、志信。そして、これが…」

 ムラサキの口が、母と同じように動くのを志信は確かに見た。それは、珊瑚色、薔薇色、鳥の子色…様々な色合いが交じり、暖かそうな光を放っていた。

 「わたしが食べてしまった貴方たちの言葉。みんな、よく使う割には、言葉の意味を成していなかったの。私、この言葉をずっと前から知っていた。小さいときに舐めたの。そしたらすごく美味しくて…。けど、今回地球に来たら、その言葉は昔よりくすんでしまっていた。だから、食べちゃったの。どうでもいいものかな、と思って。けど、なくなったら、みんな困っていた。初めは、大切な言葉を汚して、いい気味って思っていたの。だけど、ごめんなさい、わたし、大好きな志信の大切な大切なものを奪ってしまっていた…」

 「それってもしかして…」

 「そう、志信のお母さんが遺した言葉…」

 志信は光を放つ、その言葉から目をそらせなかった。望んでいたものが、自分を悩ませていた夢の答えが目の前にある。

 「わたし、この言葉が大好きすぎて、地球人としての名前もここから拝借したのに、気づかないものなのね。言葉を完全に食べるって、どれほどのことなのか勉強になった。これ、ちゃんと志信に、そして地球のみんなに返す」

 『それ』がムラサキの手から少し浮いた。

 「于都、言葉は奪っちゃいけないものなんだと思う。言葉って伝えられるものなんだ。于都が、そう教えてくれただろう?そんなに素敵なものなら、ノートに書いて、広めてよ。きっと共有できるものなんだ」

 テレビ画面にノイズが走ったようになり、ムラサキの姿が于都に変わる。

 「わたし、志信のお母さんの顔と、その丸眼鏡、きっちり覚えておいてよかった」

 于都が光を放る。

 「志信のお母さんの言葉、舐めただけでほっぺたが落ちちゃうくらい美味しかったんだから!」

 光の球は、小さな蛍のようになり、辺りを真昼間よりも明るく照らした。目を瞑らずにはいられなかった志信の鼓膜を、于都のいつもの明るい声が震わせた。

 「志信っ!ありがとう!」

 その言葉が、夢の母の口と重なる。ありがとう、ありがとう、ありがとう…。固く瞑っていても、志信の瞼の下からは、ぽろぽろと涙が染み出てきて止まらなかった。

 

 

 

のんのんさん掲載許可を頂き有難うございます。