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三題お題小説 K

初恋はコーヒーのように苦く

 

当時の俺は大学受験にあえなく失敗してしまい、高校を卒業してからは浪人生として予備校に通う毎日を送っていた。
全ては自分のため、そしてもう一年チャンスをくれた両親に対する恩返しだった。
俺が通っていた予備校には毎年約 400 人入学し、各々が希望する大学毎に国公立大学クラス、難関大学クラス、医学部クラスの 3 クラスに配属される。その後行われる国語・数学・英語の 3 教科のテストの成績に応じて今後受ける授業のレベルが決められる。レベルは基礎、標準、応用と分かれている。テストは夏期講習後にも実施され、成績が良ければさら
に上のレベルの授業を受けられる。ちなみに、成績が特に良かった生徒は授業料免除なんていうオマケ付きだ。当の俺の成績はというと、英語は標準クラスレベルだったが、他の 2教科は基礎クラスレベルだった。現役時代はロクに勉強をしなかったどころか、受験シーズンにも関わらずゲームセンターに通っていたなんていう情けない体たらくだったのだか
ら仕方が無い。
それから勝負の日々が始まった。午前中は国語・数学・英語のいわゆる必修科目の授業、昼食休憩を挟んで午後からは必修科目以外の教科から選ぶ選択科目の授業を受け、夕方の休憩後からは予備校が閉校する 21 時半まで自習、というのが一日の流れだ。土日は授業がないので一日中予習と復習をしていた。
最初の 2 ヶ月は授業に付いていくのに必死だった。現役時代に勉強してこなかったツケが回ってきていたのだ。幸い、予備校の講師の方々は夜遅くまでいらっしゃっていたので、足繁く通い不明点や苦手分野を少しずつ解消していった。
そんな日々の中で支えとなったのが、同じ予備校に通う仲間達の存在だった。同じ高校の同級生だったり、県外から入学してきたりと立場は違えど、志望校に合格するという目標は共通していた。それだけにつながりは強かったと思う。特に、昼食休憩中に母親特製の弁当をつまみながら仲間と談笑する時間は予備校生活において唯一の癒しだった。そして、もうひとつ支えとなったのがブラックのコーヒーだ。入学してからしばらく経ったある日、自習中に強い眠気に襲われ、自販機でふと目に入ったのがきっかけで飲むようになった。
元々コーヒーは苦手だったが、眠くなった時や気合を入れたい時に自販機で買って飲むのが日常だった。
努力の甲斐があったのか、夏期講習明けに受けたテストでは入学時に受けた時より良い成績を収められた。それにより国語と数学の授業は標準クラスで、英語は応用クラスで受ける事になった。後日、応用クラスで使う教科書を受け取り軽く読んでみたのだが、内容を見て不安になった。難関大学として有名な大学で出題された過去問のオンパレードだったのだ。当然ながら授業のレベルも標準クラスよりさらに高く、英語に多少自信があった俺でも苦戦を強いられた。以前よりもさらに講師の元へと通う回数が増えていった。

そんなある日。いつものように講師に質問しに行った俺は、自習室に戻ろうとした際にベ
ンチに座っている女子生徒を見かけた。なんだか気分が悪そうで顔色が良くない。俺は気
になって声を掛けた。
これが、あのコとの最初の出会いだった。
「あの、大丈夫ッスか?」
「うん・・・何とか」
結構キツそうだ。このコのクラス担任を呼んだ方が良さそうだ。俺はすぐにクラス担任の
元へ行き、状況を説明した。しばらくしてそのコはクラス担任に連れられて、迎えに来て
いた親御さんの車に乗り込み帰っていった。
それにしても、あのコちょっと可愛かったな・・・。
一瞬そう思った後、首をぶんぶんと振った。おいおい、そりゃないぜ、俺。
俺は自販機で買ったブラックコーヒーを一気に飲み干してから、自習室に戻るのだった。
それから数日後の日曜日、帰り間際にまたあのコを見かけた。この前とは違って顔色が良い。元気そうで安心した。しばらく様子を見ていると、俺と目が合ったあのコがこっちに来た。何の用だろうか?
「この間はありがとう」
「へ?いやいや、俺は何にもしてないって」
どうやらこの間のお礼が言いたかったらしい。俺はただ声を掛けただけだったのに律儀なコだ。
「この後暇なら、お茶していかない?」
「う、うん」
日曜日だけは夕方に閉校するので、他の日と比べて少しだけ予備校での自習時間が短い。
というわけで、俺はあのコと一緒に近くのカフェに行くことにした。
席について飲み物を注文してから、とりあえずあのコの名前を聞こうとしたけど緊張して上手く言葉が出ない。女の子とこうして二人きりでどこかに行くなんて初めてだったからだ。そんな俺の様子を見かねたのかあのコが先に口を開いた。
「緊張してる?」
あっさり図星を突かれてしまった。ちょっと恥ずかしい。
「いやぁ、今までこういう経験が無かったからね・・・」
俺は照れ笑いしながらそう答えた。正直、あのコが可愛くてどうにかなりそうだった。
「ただお茶するだけでしょー」
あのコはからかうように笑いながらツッコんできた。
ほどなくして、注文していたカフェオレと紅茶が来た。

「そういえば、お互い自己紹介してなかったな。俺は押本明(おしもと あきら)」
「私は竹田巴(たけだ ともえ)。よろしくね」
その後は他愛も無い話で盛り上がり、気が付けば外は暗くなろうとしていた。
「迎えが来るんだろ?待ち合わせ場所まで送っていくよ」
「それより、こっちに来て」
巴に連れられ路地裏に来た。いったい何なんだ・・・?
「目、瞑って?」
言われるがまま目を瞑る、すると・・・
俺の右頬に、一瞬だが暖かい感触が伝わった。
「なっ・・・」
俺は思わず目を開けてしまった。何が起こったのか分からず変な声が出てしまった。
「これはあの時のお礼。ありがとね、じゃ」
巴はにっこり笑うと何事も無かったかのように行ってしまった。俺はそこでようやく自分が何をされたのか理解して顔が熱くなった。その様子を、路地裏にひっそりと立つ電柱たちが見下ろしていた。
その後、あの一件がどうにも頭から離れず授業や自習に身が入らないという状況がしばらく続いた。反対に巴の方はというと、全く気にしていない様子でなんだか複雑だった。
そんなこんなで、1 月に行われるセンター試験が間近に迫っていた。ここが第一関門であり、結果次第では志望校のレベルを下げざるを得なくなってしまう。当然、以前のように二人で予備校を抜け出すという事が少なくなり寂しい日々が続いたが、電話やメールで話す事で寂しさを紛らわせていた。
そして迎えたセンター試験。試験内容の傾向が変わっていたものの、現役の頃とは比べ物にならないほど問題をスラスラ解く事ができた。試験から数日後にクラス担任と面談をしたが、センター試験の時と同じように臨めば志望校に合格するだろうと太鼓判を押された。
巴の方もかなり手応えはあったらしく、翌月に実施される前期の二次試験に向けて自信満々といった様子だった。
面談が終わったその日、久しぶりに二人で市街地をぶらついた。予備校は市街地から少し離れた場所にあり、5 分も歩けば百貨店やホテルなどの大きな建物が目の前に広がる。
「これ、良くない?」
ふらっと寄った雑貨店で、巴が試供品と書かれたビンを持っている。
「それ香水?」
「うん。レモングラスの香りだって」
しゅっ、と振りかけると柑橘系の良い香りが広がる。
「うわぁ、すげえ良い匂い」
「でしょ?」
それ以降は、目に入った店に入って商品を眺めるウィンドウショッピングばかりだったが、こうして久々に巴とどこかに出掛けられたのは嬉しかった。
街をぶらついた翌日から、二次試験対策の日々が続いた。マークシート形式のセンター試験と違い、二次試験は記述式である。分からないなりに解答欄を埋めたとしても、的外れな解答では簡単にはねられてしまう。より一層正確さが求められる試験である。さらに、センター試験後から前期の二次試験までの猶予はわずか一ヶ月。入念に準備する必要があった。またしても巴と会う時間が少なくなってしまったが、お互いに我慢して試験勉強に勤しんだ。
そして、二次試験を迎えた。過去問の傾向から出題される内容はある程度分かっていたものの、思っていたより難しく手を焼いた。それでも、最後の一分一秒まで諦めず解き続けた。
数日後、俺の手元に合格通知書が届いたのだった。最後まで諦めない姿勢が良かったのかどうか定かではないが、ただひたすらに嬉しかった。両親も喜んでくれて、そこでようやく両親に対する恩返しが出来た事を実感した。
その後、合格者だけで集まってお祝いパーティが予備校内で開かれた。参加者の中には、巴の姿もあった。良かった、無事に受かっていたようだ。
パーティが終わって解散する頃合いを見計らって、巴を予備校の駐車場に呼んだ。
「あの大学、受かったんだな。おめでと」
「明の方こそおめでとう、頑張ってたもんね」
「俺さ、実はずっと言いたかった事があって・・・」
「どうしたの?急に改まって」
お茶に誘われた時以上に緊張している。想いを伝えるのってこんなに大変だったのか・・・。
でも、伝えなきゃ。
「ずっと前から、巴の事が好きでした。俺と付き合って下さい!」
俺は深々と頭を下げた。反応はどうだ・・・?
二人の間を沈黙が支配する。
「頭を上げて?」
長い沈黙の後、巴から促され頭を上げると、巴は何とも言えない表情を浮かべていた。
「ごめんね」
少し間を置いて言われた言葉がこれだった。
「どういう事?」
「明と私じゃ釣り合わないよ。それに、明には私なんかよりもっと『いい女』がいるって。
だから本当にごめん、明とは付き合えない」
早口でそう言うと、巴は走ってどこかに行ってしまった。すぐに追い掛けたかったが、それよりも巴に言われた言葉がショックすぎて、その場を動けなかった。
どういう事なんだよ・・・ふざけんな・・・!
俺には巴しかいない、巴が俺の中で一番だっていうのに・・・!
その後、どうしても納得がいかなかった俺は何度か巴に連絡したものの返事は帰ってくる
事は無かった。結局、俺の初恋はここで終わった。あれから巴がどうなったのか、俺の知る由も無い。
「ねぇ、ボーっとしてるけどどうしたの?」
「いや、何も。それより腹減ったな。晩飯どうする?」
「ハンバーグがいい!」
「よっしゃ、それなら買い物行くか」
「うん!」
失恋から数年後、念願の彼女が出来た。巴が言っていた「いい女」に違いないが、正直俺には勿体無いくらいだ。
俺は時々あの予備校での事を思い出してしまう。どうやらまだ未練が残っていて、まるで当時飲んでいたブラックコーヒーのような苦い思い出と化しているようだ。しかしそれがあったからこそ今の俺がある、というのは考えすぎだろうか?
「はやくー」
「悪い、すぐ行くよ」
くだらない事を考えている場合じゃなかった。俺は急いで靴を履き、玄関を出て彼女の元へと向かうのだった。