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三題お題小説 ‪Dangerous‬さん

お題
A「香水」「レモン」「電柱」

ーーーーファーストキスはレモンの味
それは完全に嘘だった。
レモンの味なんて微塵もしなくて、ただ相手の体温を感じただけ。むしろ気持ち悪いとすら感じたその感覚はいつまでも口の中に残り、自販機でホットレモンを買って、流し込んだ。
みんなは気持ち悪くないんだろうか。
2年前の私は、そう思うくらいに純粋だった。

終電を待ちながら思い出す。確かあの時ホットレモンを買ったのは、この自販機だった。懐かしくなって、思わず自販機にお金を入れた。駅のホームにはもう誰もいない。自販機近くのベンチに座り、ホットレモンを一口。冷え切った指先にボトルの温もりが伝わってくる。今夜はやけに寒い。冷たい夜風が顔に刺さるようだ。マフラーに顔を埋めると、フワッといい香りがした。
彼とお揃いの香水。俺と同じものを使って欲しい、と言って、付き合いたての頃にくれたものだ。ペアリングや色違いの時計も素敵だけれど、ただ同じ匂いを纏うのがいいのだと彼は言った。
「形のあるものはいつか壊れるだろ。匂いは形こそないけど、繋がってる感じがする」
その時はロマンチックな考え方だな、と思っていたけれど、今から考えれば、形あるものを嫌ったのは浮気するためだったのだろう。香水程度で彼女の存在になんて気づけるわけがない。他の女の匂いを感じさせないために、付き合う女みんなに、同じ香水をあげていたらしい。あの頃から、アイツのダメなところは出ていた。
彼がくれた香りは、キンモクセイ。もらった日から毎日毎日、首と手首にワンプッシュ。彼と会う日には念入りに。もともと香水なんてつけるタイプではなかったが、よく続いたものだと我ながら思う。この冬だって、毎日。ボトルの減った量が彼と過ごした年月を物語っていた。
マフラーの中で深く息を吸う。胸の中がキンモクセイで満たされる。どうやら、香りはいつの間にか私のマフラーにも移っていたようだ。アイツのことは嫌いだけど、匂いまでは嫌いになれない。けれど、この香りは、アイツのことを純粋に好きだった私を思い出させる。お揃いの匂いだと舞い上がっていた自分が恥ずかしい。胸がギュッと締め付けられる。
別に、彼が好きだからつけてたんじゃない。この香りが好きだったからつけてただけなの。キンモクセイがいい香りだからいけないんだ。全部キンモクセイのせいだから。
そう強がってみても、体は正直だった。ぎゅっと目を瞑る。泣いたら負けだ。
最後のキスは、最初のキスのように、気持ち悪さしか感じなかった。浮気を怒る私を宥めるような口づけ方に、怒りが抑えられず、彼を突き飛ばして、家を飛び出した。
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「もう遅いからどうせ泊まるだろ? 揉め事はやめとこうぜ」
愛も反省もないその言葉を思い出し、また怒りが湧いてきた。浮気を認めもせず、否定もしない。噛み合わない会話の最後に雑なキス。これで機嫌を治すとでも思ったのだろうか。だとしたら、安く見られたものだ。
終電に乗り込む頃には、ホットレモンはぬるくなっていた。もともと特段好きなわけでもない。飲み切る気がしなくて、駅員さんに悪いとは思いながら、車内に放置してしまった。
最寄駅で去りゆく電車とホットレモンを見送る。
さよなら。
いいの。あれは過去だから。

駅から家はそんなに遠くないはずなのに、今日は家までの道がやたら長く感じる。終電で帰るなんていつぶりだろう。ここ最近は遅くなる日はいつも彼の家だった。辺りは真っ暗だったが、普段よりもちょっとした景色が目につく。ここって坂道だっけ。このコンビニって前からあったっけ。電柱こんなに多かったっけ。いつもより意識が外に向いているのを感じる。いや、外に向ける余裕ができたのだろう。
アイツは嫉妬深い人だった。飲み会に行くと言ったら迎えに来るようなタイプ。電話に出られなかったときなど、先回りして最寄り駅にいたこともあった。そのくせ、自分は、楽しい時間を邪魔しないで欲しいと言って、私を近づけない。自分に甘く、他人に厳しい。自分よりもまず第一に彼を考えなくてはならなかった私には、周りを見る余裕もなかった。
今の私は自由。そう思うと自然と笑みが溢れる。なんだ、あんな浮気男、全然好きじゃなかったんだ。別れてむしろスッキリしたわ。
家へ向かう最後の角を曲がろうとした時、規則的なバイブが私を揺らした。携帯の画面には着信という文字。そして、その下には彼の名前。一瞬ドキッとしたが、深呼吸して、電源ボタンに手をやる。長押しすると画面は黒くなった。
これでいいんだ。あとで聞かれたら、電池が切れていたとでも言っておこう。いや、もう連絡は取らないようにしよう。決意して、携帯から顔を上げる。見慣れた顔がそこにあった。
「……なんで電源切った?」
思わず悲鳴が漏れる。彼だった。目の前の電柱に隠れて、電話をかけてきていたのだ。先回りされていたわけか。終電のない時間ということは、タクシーで。そこまでして何をする気なのだろう。不機嫌そうに電柱もたれかかる彼を見て、急に足がすくんでしまった。動けない。
緊張した面持ちの私を見て、彼が口を開いた。
「……俺の行動が不安にさせたならごめん。でも、俺にはお前しかいないんだよ」
優しい口調だった。そのまま、そっと抱き寄せられ、頭を撫でられる。彼から香るキンモクセイの香りが、私の強張った身体と、固まりかけた意志を、優しく解きほぐしていく。
「帰って来いよ」
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耳元でささやかれ、私は覚悟した。
私は彼から離れられない。
彼の言葉に小さく頷いて、背中に手を回す。この匂いは、やっぱり、あの頃を思い出させる。あの頃の恋心を。
悪いのはこの香りなんだ。
そう、全部キンモクセイのせい。