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春お題小説 済波持 門さん

中学生になった水上は、先日誕生日プレゼントと入学祝いを兼ねて小さなクォーツを買ってもらった。
 水上は、自分が物をよくなくすことを知っていた。しかし、この小さなクォーツを心底気に入った彼は、絶対にこれを無くしたくない、けれど常に手で触れる場所に置きたいと考えた。そこで彼はそれに紐を通して、ネックレスのようにすることにした。
 翌日、学校にそれをつけたまま登校した水上は、担任である佐川に見咎められた。佐川にそれを没収された水上は、六時間の授業を上の空で終えたのだった。

 水上は職員室に戻る途中の佐川を廊下にて呼び止めて話し出した。
「俺、あの石がほんとに大事なんです。ずっと持っていたいんです。なんで、返してください」
 水上は深く頭を下げた。佐川はため息を短くて一つ。そして話し出した。
「このクォーツが大切なのはわかった。だけど、学校は勉強するところで、お洒落をするところじゃない」佐川は水上にそれを返した。「明日から持ってくるなよ」
 その言葉は、水上にとって最悪だった。この宝物を、明日からは持ってきてはいけないのか。
 水上は用は済んだとばかりに立ち去る佐川を呼び止める。
「俺、物めっちゃ失くしやすくて、だからネックレスとか肌身離さず持ち運べるやつじゃないと困るんです。ネックレスじゃなくてもいいんですけど。でもほんとに大事なんです。家に置いてきたくはないから」
「でも水上」佐川は冷たく言った。「本当に大事なら、失くさないよな」
 水上は背中に氷を入れられたような気持ちだった。彼はクォーツが自分にとって本当に大事なのか分からなくなった。
 黙り込んだ水上を尻目に、佐川は職員室へ戻っていった。水上はそれを今度は呼び止めることはできなかった。

 水上は帰宅した後、大学生になる兄にその事を話した。水上の兄はすこぶる優秀な大学生で、水上は彼のことが大好きだった。
 彼はその事に腹を立ててくれた。彼は水上に、物をなくすからといってそれが大切じゃないわけじゃないと言い、また、水上に『とっておきの秘策』を託した。

 翌日。
 水上は朝一で登校し、職員室に入り込んだ。水上は敵地に潜り込んだ兵士の心境で、佐川を探した。
 一番奥の廊下側に、佐川は座っていた。水上に気付いて立ち上がり、近寄ってくる。
「どうしたんだ、こんな早くに。もしかして昨日のネックレスの件か」
 佐川が問うてくる。水上は爆発しそうな心臓を努めて無視して話した。
「俺は納得できません。オシャレ目的で着けてきてるわけじゃなくて、必要に駆られてるから着けてるんです」
 水上はキッと佐川を睨みつけた。わけもなくこみ上げてきた涙がこぼれないように気をつけた。
 だから、と水上は続けた。
「俺はこれから、校長先生にジカダンパンしにいきます」
 校長先生に直接お願いすることをジカダンパンだというのだと、水上は兄に教わっていた。これが兄の秘策だった。
 佐川は水上に何と言っていいか分からなかった。今までアクセサリーでごねた生徒を受け持ったことはあれど、校長先生に直談判しに行く生徒は初めてだったからだ。
 なので、水上がスタスタと校長室に向かっていった時、佐川は止められなかった。
 
 水上がドアをノックし、流暢に名前とクラスをいう。
「校長先生にジカダンパンしたくて来ました」
 奥からゆっくりと、入りなさいという声が聞こえた。
 水上にとって、校長室は異世界だった。大きなソファーに、大きな地球儀に、分厚い本。巨人の世界だと思った。
 そして奥にいる校長先生は、人を安心させるオーラを持つおじさんだった。彼は眼鏡越しに水上の顔をじっと見ていた。
 水上は乾き切った口内をどうにか唾で潤してから話した。
「俺、すっごい大切な石があるんです」これです、と水上は彼にそれを見せた。「失くしちゃうから絶対にどこかに置きたくなくて、だけどずっと触れるように持っていたいんです」
 水上は校長先生から目を離さなかった。
「でも、ネックレスはダメと言われました。だからネックレスじゃなくてもいいんです。ずっと持っていられて、それでいて失くさなくても済むようにしてほしいんです」
 校長先生は数回目を瞬かせた。その後、ゆっくりと口角を上げた。
「分かった。君の気持ちは真っ直ぐ伝わったよ」彼は水上が手に乗せていた石をつまみ上げた。「校長先生に任せなさい。放課後、またここにくるといい」

 またも上の空な六時間を過ごし、水上は再び校長室の前に立った。今度は職員室側の扉ではなく、廊下側にある扉だ。
 水上が緊張に震える体を押さえつけて、ドアをノックしようとすると、中から話し声が聞こえて来た。佐川と校長先生の話し声だった。
「君は、何故それがいけないという理由を彼に説明しなかったのかね」
 校長先生の声は、朝と違い冷たい気配を帯びていた。
 一方の佐川はまごついていた。水上は、まるで今までと正反対だと思った。
 佐川は一頻り纏まらない弁明を終えてから訊ねた。
「しかし、いいのですか。実質校則を破るようなことを行なって」
 すると校長先生は穏やかに笑った。朝と同じ、人を安心させる声だった。
「あの子は素晴らしい。透き通るほどに純粋で、それでいて固く、ずっしりと重い意志を持っている。まるで……」
 言葉を遮るようにドアをノックした。ジカダンパンのために何回も家で練習した挨拶をスラスラと発声する。
 水上はもう、体は震えていなかった。