noveで企画

アプリnovelnove交流による企画。

三題お題小説 アギトさん

砂漠の思い出

 

「はしゃぐな。他の人もいるのに、みっともないだろ」

折角温泉に来たというのに、私は声を張り上げてしまった。

職場から有給の消費を命じられ、俺は妻が行きたがっていた観光地を巡る旅行を決行した。
一通り古代文明が作った遺跡を観光した後、俺たち家族はホテルにチェックインして、温泉に浸かっていたのだ。

俺自身も、仕事のスケジュールの隅に追いやられていた家族サービスというものを思い出す事に、この旅行が一役買ってくれるだろう。と期待していたのだが。

子供の面倒を見ることがこんなに大変だったとは。

遊びたい盛りの息子は、すぐに湯船から出ようとする。
昼間もレジャー施設であれだけはしゃぎ回っていたというのに。
子供のバイタリティには、うまく言葉にはできないのだが、圧倒されてしまう何かを感じずにいられない。
「だってー、もう温泉に浸かるの飽きたもん」
「昼間プールで散々泳いだろ。大人しくしなさい」
「えー……僕早くお土産買いたい」
「ダメだダメだ!これ以上無駄遣いはできないんだ!」

ピシャリと要求を跳ね除け、湯船に肩まで浸かろうとすると、息子は急に大人しくなった。

やっと気が休まる。

ふっとため息を吐いて目を閉じる——

だが息子は、俺に休息など与えはしなかった。

欲求が通らなかった憤りを伝えるために、息子は号泣という選択肢を取った。
瞬く間に宿泊客の視線が向けられ、父親の立場にある俺の居場所が奪われていく。

「わかったわかった、すぐに上がろう。だから泣くんじゃない!」

名残惜しいが仕方あるまい。朝起きたら一番風呂をもらいに行こう。

 

感情のダムが決壊した子供という生き物は、市街地を蹂躙する怪獣と大差ない。
ヒーローではない俺がこの暴れん坊を止めるには、向こうの欲求を飲むしかない。
働くことを言い訳に育児を母に押し付けていたツケを、こんな形で払うなんて。

もう少しして、小学生になったら、こんな癇癪を起こさなくなると思うのだが……。

「ねぇパパ、お土産何がいいかな」
「それは自分で決めないと意味がないじゃないか。ああ、でも、ここでしか買えないものにしなさい」

陳列棚に並べられたフィギュアを真剣な眼差しで吟味する我が子を見ていると、幼かった頃の経験が蘇ってきた。

俺が息子と同じ歳頃の時、旅行先で気に入ったお土産を買った事がある。
意気揚々と家路に着いて、トイレ休憩の為にパーキングエリアに立ち寄った時だ。
ついでに飲み物を買おうと売店に入った時、旅行先で買ったお土産と同じものが、そこでも売られていたのを見つけてしまった。

小さい頃に味わったひと匙の苦い思い出を、この子にもしてほしくない。

そんな回想に何となく浸っていると、息子が俺を必死に呼ぶ声が聞こえてきた。
無邪気な狩人はおめがねに叶うものを見つけたようだ。

「パパ、これ買って!」
「無茶言うな。こんな大きなぬいぐるみを置く場所なんてないだろう」
「やだ!これがいい!黄色くてでっかくって、カッコいいんだもん!」

それは大人程の大きさに作られた、抱き枕としても使えそうなぬいぐるみであった。
重力の干渉を受けない海で生きることに特化した流線型の身体に、巨大なヒレがついている。

「だいたい、これが何の生き物か分かっているのか?」
「うーんと……でっかいクイルドン!」
「違うよ。こいつはクジラっていうんだ」

まあクイルドンと間違うのも無理はない。
俺たちの住む星にも、このぬいぐるみの顔に似た生き物が日常的に空を飛んでいる。
だからこそ、有識者である大人が正しい知識を教える必要があるのだ。

「こいつは昔、この星の海の中に泳いで暮らしていたんだ。おっきな口で食べ物を丸呑みにしていたらしいぞ」
「え!空を飛ぶんじゃないの!」
「この動物は、水の中でしか生きられなかったらしい。まあここで掘り起こされた化石から予測しただけで、本当は空を飛んでいたかもな」

何億年も前のこの星では、俺たちの住むカルノス星とは比べ物にならない多種多様な生物が、至る所で暮らしていたという。
このクジラという生き物もその一部であったが、この星の環境が生き物の存在を許さないものに変わってしまい、全ての生命が死に絶えてしまったのだ。

俺たちはカルノス星の技術を集めて建造した宿泊施設に泊まっているので、こうした会話を交わすことができる。だが一度外に出れば、惑星全土を覆う砂漠の異常な気候によって命を落とすだろう。

「どうして?なんでみんな死んじゃったの?」
「いい質問だな。じゃあクイズにしよう。どうして地球の生き物は皆死んでしまったんでしょうか?」

簡単なお遊びでも、真剣に答えを導き出そうとする我が子を見ると、息子の中に煌く鉱石が眠っているような気がして、こちらもドキドキしてしまう。

「分かった!みんな食べられちゃったから!」
「うーん、不正解。答えは地球に住んでいたホモ・サピエンスが星の環境を変えてしまったから、でした」
ホモ・サピエンスって、なに?」
「昔この地球を支配していた、俺たちみたいな知的生命体だ。まあそんなに頭は良くなかったみたいだがな」

大量に見つかった化石とともに掘り出された電子機器、文献を調査した結果、ホモ・サピエンスがなにをしてきたのかが見えてきた。

同種族同士で無駄な争いを引き起こし、将来を憂うことなく資源を使い果たし、最期は技術の未熟さ故にこの星全体の気温を上昇させて自滅した、滑稽な生き物だったという事実が。
それによってホモ・サピエンス以外の生物も道連れになって滅びの道を辿っていった事も、最近の地質調査からわかってきた。

そんな原始の星に、俺たち家族を含めた多くのカルノス人はロマンを抱き、今では観光名所として扱われるようになった。

「ふーん、変わってたんだね、ホモ・サピエンスって」
「そうだな……ところで、お土産はどうする?」
「このクジラにする!」
「だからこれは大きすぎるからダメだって。宇宙船のスペースがなくなるだろ」
「…………」
「グズっても駄目だ。買うなら一回り小さいものに——」
「あなた、こんなところにいたのね」

馴染みの声に振り向くと、ハタハタと歩く妻の姿があった。
キリッとした鼻梁に艶やかな緑色の肌、藍色の髪。
俺の自慢の伴侶だ。

「あなた、また子供を泣かせて!」
「違う、これは教育のためだ」
「この子の楽しい一日を涙で締めくくるなんて、何がなんでも許さないわよ。……あら?可愛いぬいぐるみね」
「ママ、これ買っていい?」
「いいわよ、ママがお金出すわ」
「おいお前、なんでも買い与えるのはよせ」
「いいじゃないの、折角の旅行なんだし。一生の思い出になるわよ」

要求を呑んでばかりだと、子供の精神衛生に良くないと思っているのだが。
キャッキャと飛び跳ねる我が子と、それを見て微笑む妻を見ていると、これ以上口出しするのは良くないように見えてきた。

宇宙船の故障を直す仕事に携わってきたが故に、神経質になりすぎていたのかもしれない。

かつて雄大に泳いでいたクジラのように、もっと気持ちに余裕を持つのも悪くないのかもしれないな——

何気ない旅行の瞬間に、父親としての幸福を感じずにはいられなかった。